あなたとは何か なぜ生まれてきたのか
これは、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリス人の霊媒(モーリス・バーバネル)を通して語られた言葉です。
神が現実に存在し、何人も神とつながる守護霊が、いつもそばで守り導き、つらいときには援助を求める真摯な祈りが必ず届き、そして人間はどのような時も決して一人ではなく、絶望はないこと、そして人間は永遠なる魂であり、亡くなった人が今も生き続け、再び会うことができ、地上生活はその巡礼の旅路のほんの短い大切な一部であることを語った内容です。
あなたとは何か
あなた方は本来、霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。
霊的部分が本来のあなたなのです。
それはこの全大宇宙を創造し計画し、運用してきた大いなる霊(神)と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる神の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。
生命は物質ではありません。霊なのです。
生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊(神)と繋がっています。
真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在なのです。
肉体は霊がその機能を行使できるように出来上がっております。
その形体としての存在はほんの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。
その辺の理解ができた時こそ、あなたの内部の神性が目を覚ましたことになります。
そうなった時こそ地上生活本来の目的である霊と肉との調和的生活が始まるのです。
魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。
これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるで無くても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にします。その存在を認識しただけで一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し延べます。
シルバーバーチの霊訓(1) 一章
なぜ生まれてきたのか
地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。
何も知らずに誕生してくるのではありません。
自分にとって必要な向上進化を促進するには、こういう環境で、こういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。
ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。
人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。
笛に踊らされる人形ではないのです。
人間の一人一人に分霊が宿っており、一人一人が無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなた方には個的存在としての責任と同時に、ある限度内の自由意志が与えられているのです。
自由意志といっても、大自然の法則の働きを阻止することができるという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。
運命全体としての枠組みは出来ております。しかしその枠組みの中で、あなた方が予定した予定表に従いながら、どれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。
もしかしたらその予定表さえ自覚できないかもしれません。でも魂は神性を宿すが故に常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。
ときにはそれが悲嘆、無念、苦悩、苦病という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ、目を覚まさせることになります。
人のために己れを棄てる仕事にもいろいろあります。
あるものは人目につく派手なものであり、あるものは人目につかない静かな聖域で行われます。
いずれにせよ大切なのは人のために役立つことです。霊的真理の悟りを一人でも多くの、受け入れる用意のできた人に施すことです。
不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、人生とは何かについて、表面的なことではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません。
大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知ることです。
その地上生活を無知の暗闇の中ではなく、叡智の光の中で、肩をすぼめず背筋をまっすぐに伸ばして、怖れを抱かず堂々たる落ち着きをもって生きるべきです。
霊的なものにとって、恐れるということが何よりも強烈な腐食作用を及ぼします。恐怖心と心配の念は、私たちが特に不断の警戒を要する敵です。
なんとなれば、それが霊力が作用する通路を塞いでしまうからです。
光の中ばかりで暮らしておれば光の有難さは分かりません。公明が有難く思われるのは暗闇の中で苦しめばこそです。
こちらの世界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、そちらの世界での苦労を十分に体験しなければなりません。
果たすべき義務を途中で投げ出してこちらへ来た者は、こちらで用意している喜びを味わうことはできません。少なくとも永続的な幸せは得られません。
人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時に、あなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。
この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。
その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の階段へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。
時として人生が不公平に思えることがあります。
ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。
しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。
私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。
なぜなら神の摂理がその通りには働かなかった例を、一つとして知らないからです。
こちらへ来た人間が、自分は両方の世界を体験したが、私は不公平な扱いを受けているというなどと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。
神は絶対に誤りを犯しません。
自分に生命を賦与してくれた力がきっと支えてくれるという自信をもつことです。
あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。
正しい条件さえ整えば、その神性は、神からの遺産として、あなたに人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を用意してくれます。
故にあなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平穏で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。
その状態にあるかぎり万事がうまくいき、必要とするもの全てが施されるとの確信をもたなければいけません。
安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。神は決してあなた方を見捨てません。見捨てるのはあなた方の方です。あなた方が神を見捨てているのです。
困難に直面した時、その神の遺産を結集し、必ず道は開けるのだという自信をもつことです。
不動の信念をもてば道は必ず開かれます。
これはすでに私が何年にもわたって説いてきたことです。真実だからです。
実践してみればそのとおりであることを知ります。
霊性を悟ることは容易なことではありません。
もし容易であれば価値はありません。その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力し自分で苦労しなくてはなりません。
しかし同時にそれは登るにつれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。
シルバーバーチの霊訓(1) 二章