古代霊は語る シルバー・バーチ霊訓より

第六章 動物の進化と死後の生命

 

一問一答

 

問「動物は死後もずっと飼主といっしょに暮らすのでしょうか。それとも、いずれは動物だけの界へ行くのでしょうか。」

シルバー・バーチ「どちらとも一概には言えません。なぜなら、これには人間の愛がかかわっているからです。死後も生前のままの形体を維持するか否かは、その動物に対する飼主の愛一つにかかっているのです。もしも動物とその飼主ーこの飼主(owner)という言葉は好きではありません。他の生命をわがものとして所有する(own)などということは許されないのですからーその両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼主のところで暮らします。愛のある場所が住処となるわけです。愛が両者を強く結びつけるのです。その場合は動物界へ行く必要はありません。しかし、もしも飼主より先に他界した場合は、動物界へ行ってそこで面倒をみて貰わなくてはなりません。飼主との愛が突如として切れたのですから、単独で放っておかれると動物も迷います。地上では人間的な愛と理性と判断力と情愛を一身に受けたのですから、その主人が来るまで、ちょうどあなたがたが遠出をする時にペットを専門家にあずけるように、霊界の動物の専門家に世話をしてもらうわけです。」

 

問「人間との接触によって動物はどんなものを摂取するのでしょうか。」

シルバー・バーチ「長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは法則の働きによって、動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。その段階で人間は判断力というものを身につけたわけです。すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部はじめから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。それが神の息吹きで目を醒ましたわけです。

さて、そうした神が動物に霊性の息吹きを吹き込んだように、あなたがた人間も動物に対して同じことが出来るのです。人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹きを吹き込むことが出来るはずです。つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。それがその後の長い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達するわけです。愛が生命のすべてのカギです。動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを制御し、全てを統治しています。また愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同士でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。愛があればこそ生命は進化するのです。」

 

問「霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか。」

シルバー・バーチ「いえ、その点が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても分かれなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるかわかりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違うために、どうしても人間について行けなくなる時が来ます。人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、向上進化を求める霊性が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力が他の生命の進化を援助する方向へと発揮されていきます。そうやって人間が霊的に向上すればするほど、動物はいかに愛によって結ばれているとは言えそのスピードについて行けなくなり、やがてこの愛の炎も次第に小さくなり、ついには動物はその所属する種の類魂の中に融合していきます。」

 

問「すると動物の場合は個性を失ってしまうということですか。」

シルバー・バーチ「その通りです。そこに人間と動物の大きな違いがあるわけです。動物は類魂全体として未だ一個の個性を有する段階まで進化していないのです。その段階まで進化すれば、もはや動物ではなくなり、人間となります。ペットとして可愛がられた動物は、人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人間と一緒に暮らすわけで、人間の進化についていけなくなって愛の糸が切れてしまえば、もとの類魂の中に戻るほかはありません。」

 

問「せっかく人間との接触で得たものが消えてしまうのでは愛がムダに終わったことになりませんか。」

シルバー・バーチ「そんなことはありません。類魂全体に対して貢献をしたことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです。全体に対する貢献です。今までその類魂に無かったものが加えられたわけです。全体のために個が犠牲になったということです。そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて人間へと進化していきます。」

 

問「その時点で人間界へと誕生するわけですか。」

シルバー・バーチ「そうです。人間界への誕生には二種類あります。古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、そうやって動物界からはじめて人間界へ誕生してくる場合です。」

 

問「一人の人間としてですか。」

シルバー・バーチ「そうです。双方とも霊魂です。双方そも自我意識をもった霊であり個性を有しております。ただ、一方がベテランの霊で、進化の完成のためにどうしても物質界で体験しなければならないことが生じて、再び地上へやってくるのに対し、他方は、やっと人間の段階にまで達した新入生です。直前まで動物だったのが人間へとジャンプしたのです。アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を辿って、今ようやく人間へと達したのです。」

 

問「セオソフィー(神智学)の教えと同じですね。」

シルバー・バーチ「何の教えでもよろしい。私に対して、学派だの宗派だのを口にするのはやめて下さい。世の評論家というのはアレコレとよく知っていることをひけらかすだけで、その実、素朴な真理を何一つご存知ない。困ったことです。それは措いて、あなたはまさか蜘蛛を家の中に持ち込んでペットとして飼ったりはしないでしょう。カブト虫に温かい人間愛を捧げるようなことはしないでしょう。それはあなたと、そういう昆虫との間の隔たりを意識するからです。進化の道程においてはるかに遅れていることを本能的に直感するからです。一方、犬とか猫、時に猿などをペットとして可愛がるのは、一種の近親感を意識するからです。もうすぐ人間として生まれ代わってくる段階まで近づいて来ているために、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです。」

 

問「では下等動物が人間に飼われるということは、その動物はもうすぐ人間に生まれ代わるということを意味するのでしょうか。」

シルバー・バーチ「進化にも、突然変異的な枝分かれ、いわゆる前衛と、後もどりする後衛とがあります。つまり前に行ったり後にさがったりしながら全体として進化していきます。中には例外的なものも生じます。動物で知的な面でずいぶん遅れているものもいれば、小鳥でも犬より知的に進化しているものがいたりします。しかしそうした例外と、全体の原理とを混同してはいけません。」

 

問「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ代わるのですか、それとも一回きりですか。」

シルバー・バーチ「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ代わっては類魂全体のために体験を持ち帰ります。動物の場合はそれぞれ一度ずつです。そうしないと進化になりません。」

 

問「われわれ人間としては、犬や猫などのペットと同じように、生物のすべてに対して愛情を向けることが望ましいのでしょうか。」

シルバー・バーチ「それはそうです。しかし同じ反応を期待してはいけません。愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶというのが原則ですが、進化の程度が低いほど反応も少なくなります。あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけです。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります。」

 

問「動物がようやく人間として誕生しても、その人生がみじめな失敗に終わった場合は、再び動物界へ戻るのでしょうか。」

シルバー・バーチ「そういうことはありません。一たん人間として自我意識を具えたら、二度と消えることはありません。それが絶対に切れることのない神との絆なのですから・・・」

 

問「屠殺とか動物実験等の犠牲になった場合の代償ーいわゆる埋め合わせの法則はどうなっていますか。」

シルバー・バーチ「もちろんそれにもそれなりの埋め合わせがありますが、一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂を単位として法則が働きます。進化の程度が異なる動物と人間とでは因果律の働き方が違うのです。特に動物の場合は原則として死後は類魂の中に個性を埋没してしまうので、個的存在とは条件が異なります。類魂全体としての因果律があるのですが、残念ながら人間の言語では説明のしようがありません。譬えるものが見当たりません。」

 

問「シラミとかダニなどの寄生虫は人間の邪心の産物だという人がいますが、本当でしょうか。あれはホコリとか病気などの自然の産物ではないかと思うのですが・・・」

シルバー・バーチ「仮りにホコリや病気のせいだとした場合、そのホコリや病気は一体だれがこしらえたのですか。原因を辿れば人間の利己心に行きつくのではありませんか。その利己心はすなわち邪心と言えます。たしかに直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、ホコリとか病気、直射日光や新鮮な空気の不足とかにありますが、さらにその原因を辿れば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人たちの利己心、非人間性に行きつきます。これは一種の邪心であり、私に言わせれば人間の未熟性を示しています。そういう利己心を棄て、弱者を食いものにするようなマネをやめ、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなります。」

 

問「それは、たとえばハエのようなものには当てはまらないでしょう。」

シルバー・バーチ「いいですか。大自然全体は今なお進化の過程にあるのです。自然界のバランスは人類の行為如何によって左右されており、人類が進化すればするほど、地上の暗黒地帯が減っていくのです。人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。人間の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにして人間の進化はあり得ません。双方の進化は大体において平行線を辿っています。人間は神によって創造されたものでありながら、同時に又、神の一部として、宇宙の進化の推進者でもあり、自分自身のみならず、自分の属する国家をも司配する自然法則に影響を及ぼします。

私は今、人間と自然界の進化は大体において平行線を辿ると言いました。両者にはどうしても少しずつズレが出てくるのです。なぜなら、過去の世代が残した業はかならず処理していかねばならないからです。」

 

問「今おっしゃったことは恐ろしい野獣についても当てはまるのでしょうか。」

シルバー・バーチ「全体的ではありませんが一応当てはまります。ただ忘れないでいただきたいのは、進化というのは一定の型にはまったものではないのです。いろいろと変化をしながら永遠に続くのです。原始的なものからスタートして低い段階から高い段階へと進むのですが、かつては低いところにいたものが次第に追い抜いて今では高い所にいたり、いま高いところに位置しているものが、将来は低い方になることもあります。」

 

問「では進化にも後戻りということがあるわけですか。」

シルバー・バーチ「それを後戻りと呼ぶのであればイエスという答えになりましょう。というのは、進化というのは一種のサイクル、現代の思想家の言葉を借りればスパイラル(らせん状)を画きながら進むものだからです。どちらの言い方でもかまいません。要は進化というものが常に一直線に進むものでないことを理解していただけばよろしい。一歩進んでは後退し、二歩進んでは後退し、ということを繰り返しながら延々と続くのです。」

 

問「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう。」

シルバー・バーチ「それが人間の進化の指標だからです。人間が進化すればするほど地上から残忍性と野蛮性が消えていきます。愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎった時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと羊が仲良く寄りそうようになります。」

 

問「しかし動物の残忍性も動物としての発達の表われではないでしょうか。」

シルバー・バーチ「あなたもかつては動物だったのですよ。それがここまで進化してきた。だからこそ太古に比べれば動物界でもずいぶん残忍性が減ってきているのです。トカゲ類で絶滅したのもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです。」

 

問「おとなしい動物の中にも絶滅したものがいますが・・・」

シルバー・バーチ「進化の一ばんの指標が残忍性に出るといっているのです。太古でも進化上の枝分かれがいくつもありました。それらは進化の先駆者とでも言うべきものです。進化というのはどの段階においても一定の型にはまったものではありません。優等生もおれば劣等生もおり、模範生もおれば反逆児もおります。おとなしい動物はさしずめ優等生だったわけです。」

 

問「寄生虫の類も動物と同じ類魂の中に入っていくのですか。」

シルバー・バーチ「違います。」

 

問「動物の類魂は一つだけではないということですか。」

シルバー・バーチ「各種属にそれぞれの類魂がいます。」

 

問「それが更に細分化しているわけですか。」

シルバー・バーチ「そうです。細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。新しい霊ーはじめて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂の中の最も進化した類魂です。」

 

問「動物で一ばん進化しているのは何ですか。」

シルバー・バーチ「犬です。」

 

問「寄生虫の類魂の存在は害を及ぼしますか。」

シルバー・バーチ「別の害はありません。全体のバランスから見て、ほとんど取るに足らぬ勢力ですから。でもこれはずいぶん深入りした質問ですね。」

 

問「動物の類魂の住処はやはり動物界にあるのですか。」

シルバー・バーチ「私にはあなたより有利な点が一つあります。それは地理を学ばなくてもいいということです。場所とか位置がいらないのです。霊的なものは空間を占領しないのです。地上的な位置の感覚で考えるからそういう質問が出てくるのです。魂には居住地はいりません。もっとも、形体の中に宿れば別です。類魂そのものには形体はありませんが、もしも形体をもつとなれば、何らかの表現形態に宿り、その形態で自己表現できる場が必要になります。」

 

問「動物の類魂は地球上に対して何か物質的なエネルギーを供給しているのでしょうか。地球にとってそれなりの存在価値があるのでしょうか。」

シルバー・バーチ「進化の過程においての存在価値はあります。ただ気をつけていただきたいのは、どうもあなたがたは物的なものと霊的なものとをあまりに区別しすぎるきらいがあります。地上に存在していても立派に類魂の一部でありうるわけで、死ななければ類魂の仲間入りが出来ないと錯覚してはいけません。」

 

問「ペットも睡眠中に霊界を訪れますか。」

シルバー・バーチ「訪れません。」

 

問「では死んでから行く世界にまるで馴染みがないわけですか。」

シルバー・バーチ「ありません。人間の場合は指導霊が手を引いて案内してくれますが、動物の場合はそれが出来るのは飼主だけですから、飼主が地上にいれば案内できない理屈になります。」

 

問「飼主が先に死んだ場合はどうなりますか。」

シルバー・バーチ「その場合は事情が違ってきます。いま述べたのは一般的な話です。」

 

問「人間より動物の方が心霊能力がすぐれている場合があるのはどうしてですか。」

シルバー・バーチ「人間がいま送っているような文化生活を体験していないからです。人間がもしも文化生活の恩恵に浴さなかったら、心霊能力が普段の生活の一部となっていたはずです。つまり人間は文明と引き替えに心霊能力を犠牲にしたわけです。動物には人間のような金銭問題もなく、社会問題もないので、本来なら人間が到達すべきであった段階へ人間より先に到達したのです。人間の場合は物質文明が心霊能力を押さえ込んでしまったわけです。いわゆる霊能者というのは進化のコースの先駆者です。いずれは人間の総てが発揮するはずの能力をいま発揮しているわけです。」

 

問「動物にはいわゆる第六感というのがあって災害を予告したり、知らないところからでもちゃんと帰って来たりしますが、これも心霊能力ですか。」

シルバー・バーチ「そうです。霊能者にも同じことが出来ます。ただ動物の場合はその種属特有の先天的能力である場合があります。いわゆる本能といわれているもので、ハトがどんな遠くからでも帰ってくるのもそれです。これも一種の進化の先がけで、その能力だけが特に発達したわけです。」

 

問「死んだばかりの犬が別の犬と連れだって出て来ている様子を霊能者が告げてくれることがありますが、犬同士でも助け合うことがあるのですか。」

シルバー・バーチ「ありません。ただし地上でその二匹が一緒に暮らした経験があれば連れだって出ることはあります。」

 

問「動物界にはどんな種類の動物がいるのでしょうか。」

シルバー・バーチ「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間のほとんど同等に扱われて知性や思考力を刺戟された動物のすべてがおります。そうした動物は飼主の手から離れたことでさびしがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れてこられて、他の動物といっしょに暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。そこには動物をよろこばせるものが何でも揃っており、やりたいことが何でも出来るので、イライラすることがありません。そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れてこられて、しばしその懐かしい雰囲気を味わいます。心霊知識のない人が自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言ってさわぐのはそんな時のことです。何となくあの辺りにいたような気がするといった程度にすぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達していますから・・・」

 

問「動物界で世話をしている人間が連れてくるわけですか。」

シルバー・バーチ「そうです。それ以外の人について戻ってくることはありません。」

 

問「病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか。」

シルバー・バーチ「そうです。そうしたチャンスをよろこんで引き受けてくれる人が大勢います。」

 

問「動物界は種類別に分けられているのですか、それとも全部が混り合っているのですか。」

シルバー・バーチ「種属の別ははっきりしています。」

 

問「動物界は一つでも、それぞれの境界があるということですか。」

シルバー・バーチ「そうです。とにかく自然に出来あがっております。一つの大きなオリの中に飼われているのではありません。」

 

問「猫は猫、犬は犬に分けられているわけですか。」

シルバー・バーチ「その通りです。」

 

問「特に仲の良かったもの同士は別でしょう。その場合は互いに境界の近くに来るわけですか。」

シルバー・バーチ「そういうことです。すべてが至って自然に出来あがっていると考えて下さい。」

 

問「犬の次に進化している動物は何ですか。猫ですか猿ですか。」

シルバー・バーチ「猫です。」

 

問「なぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが。」

シルバー・バーチ「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。かならず優等生と劣等生とがいます。人間はたしかに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。その大きな理由は人間が犬を可愛がったからです。」

 

問「犬が人間の次に進化しているから可愛がるのだと思っていましたが・・・」

シルバー・バーチ「それもそうですが、同時に人間の側の好き嫌いもあります。それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明できません。長い長い進化の道程において、猿はいわば足をすべらせて後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。それと同時に、というより、ほぼその時期に相前後して、犬の種属が進化してきました。猿よりも類魂全体の団結力が強く、無欲性に富んでいたからです。しかしどうも説明が困難です。もっともっと複雑なのです。」

 

問「猿の種属が法則を犯したのでしょうか。」

シルバー・バーチ「法則を犯したというのではなく、当然しなければならないことをしなかったということです。」

 

問「では猿と同じように、将来、犬が進化の階段をすべり落ちるということもあり得るのでしょうか。」

シルバー・バーチ「それはもう有り得ないでしょう。というのは、すでに何百万年もの進化の過程を辿って来て、地上の種がすっかり固定してしまったからです。種の型がほとんど定型化して、これ以上の変化の生じる可能性はなくなりつつあります。物質的進化には限度があります。形体上の細かい変化はあるかも知れませんが、本質的な機能上の変化は考えられません。

人間の場合を考えてごらんなさい。現在の型、すなわち二本の腕と脚、二つの目と一つの鼻が大きく変化することは考えられないでしょう。これが人間の定型となったわけです。もちろん民族により地上によって鼻とか目の形が少しずつ違いますが、全体の型は同じです。

動物の場合はこの傾向がもっと強くて、霊界の類魂に突然変異が発生することはあっても、どれが地上の動物の型を大きく変化させることはまずないでしょう。」

 

問「猿の転落もやはり自由意志に関係した問題ですか。」

シルバー・バーチ「それは違います。自由意志は個的存在の問題ですが、動物の場合は類魂全体としての問題だからです。」

 

問「動物に個体としての意識がないのに、なぜ類魂全体としての判断が出来るのですか。」

シルバー・バーチ「個々には理性的判断力はなくても、働くか怠けるかを選ぶ力はあります。必要性に対して然るべく対処するかしないかの選択です。そこで種としての本能が伸びたり衰えたりします。個々には判断力はなくても、長い進化の過程において、種全体として然るべき対処を怠けるという時期があるわけです。」

 

問「それは植物の場合にも言えるわけですか。」

シルバー・バーチ「そうです。」

 

問「それは外的要因によっても生じるのではないですか。」

シルバー・バーチ「それはそうですが、あなたのおっしゃる外的というのは実は内的でもあるのです。それに加えて更に、霊界からコントロールする霊団の存在も考慮しなくてはいけません。」

 

問「たとえば猿の好物であるナッツが豊富にあれば、それが猿を怠惰にさせるということが考えられませんか。」

シルバー・バーチ「結果論からすればそうかも知れませんが、ではナッツがなぜ豊富にあったかという点を考えると、そこには宇宙の法則の働きを考慮しなくてはいけません。つまり人間の目には外的な要因のように見えても、霊界から見れば内的な要因が働いているのです。私の言わんとしているのはその点なのです。人間はとかく宇宙の法則を何か生命のない機械的な、融通性のないもののように想像しがちですが、実際は法則と法則との絡まり合いがあり、ある次元の法則が別の次元の法則の支配を受けることもありますし、その根拠において完全にして無限なる叡智によって支配監督されているのです。法則にもまず基本の型というものがあって、それにいろいろとバリエーション(変化)が加えられています。といっても、その基本の型の外に出ることは絶対に出来ません。どんなに反抗してみたところで、その法のワクはどうしようもなく、結局は順応していくほかはありません。しかし同じ型にはまっていても、努力次第でそれを豊かで意義あるものにしていくことも出来るし、窮屈で味気ないものにしてしまうことも出来ます。別の言い方をすれば、その法則に調和した色彩を施すのも、あるいはみっともない色彩を塗りつけてしまうのもあなた次第ということです。いずれにせよ、型は型です。」

 

問「動物実験がますます増えておりますが、どう思われますか。これを中止させようと運動している団体もありますが、霊界からの援助もあるのでしょうか。」

シルバー・バーチ「ためになる仕事をしようと努力している人はかならず霊界の援助を受けます。神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許されません。ただ、動物実験をしている人の中には、人類のためという一途な気持ちでいっしょうけんめいなあまり、それが動物に苦痛を与えていることに全く無神経な人がいることも忘れてはなりません。しかし罪は罪です。」

 

問「でもあなたは動機が一ばん大切であると何度もおっしゃっています。人類のためと思ってやっても罰を受けるのでしょうか。」

シルバー・バーチ「動機はなるほど結構なことかも知れませんが、法の原理を曲げるわけにはいきません。実験で動物が何らかの苦痛を受けていることがわからないはずはありません。それでもなお実験を強行するということは、それなりの責務を自覚しているものと見做されます。動機は人のためということで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えるということは賛成できません。」

 

問「動物は人類のために地上に送られてきているのでしょうか。」

シルバー・バーチ「そうです。同時に人類も動物を助けるために来ているのです。」

 

問「動物創造の唯一の目的が人類のためということではないと思いますが。」

シルバー・バーチ「それはそうです。人類のためということも含まれているということです。」

 

問「動物の生体解剖は動機が正しければ許されますか。」

シルバー・バーチ「許されません。残酷な行為がどうして正当化されますか。苦痛を与え、悶え苦しませて、何が正義ですか。それは私どもの教えとまったく相容れません。無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです。」

 

問「動物を実験材料とした研究からは、たとえばガンの治療法は発見できないという考えには賛成ですか。」

シルバー・バーチ「神の摂理に反した方法で手に入れた治療法では病気は治せません。人間の病気にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています。しかしそれは動物実験からは発見できません。」

 

問「そうしたむごい実験を見ていながら、なぜ霊界から阻止していただけないのでしょうか。」

シルバー・バーチ「宇宙が自然法則によって支配されているからです。」

 

問「私はキツネ狩りをしたことがありますが、間違ったことをしたことになりますか。」

シルバー・バーチ「すべて生命のあるものは神のものです。いかなる形にせよ、生命を奪うことは許されません。」

 

問「でも、ウチのにわとりを二十羽も食い殺したんですが・・・」

シルバー・バーチ「では、かりに私がそのキツネに銃を与えて、二十羽もにわとりを食べたあなたを撃ち殺せと命令したらどうなります。すべての地上の生命は神の前には平等なのです。人間が飢えに苦しむのはキツネが悪いのではなく、人間自身が勝手な考えをもつからです。キツネやにわとりをあなたがこしらえたのなら、これをあなたが食べても誰れも文句は言いません。人間がにわとりやキツネを殺してもいいというのが道理であるとしたら、あなたの兄弟姉妹を殺してもいいという理屈になります。生命は人間のものではありません。神のものです。生命を奪う者はいつかはその責任を取らなくてはいけません。」

 

問「オーストラリアではウサギの異常繁殖が脅威となっておりますが、これについてはどうでしょうか。」

シルバー・バーチ「人間は本来そこにあるべきでないところに勝手に持ってきて、それがもたらす不都合についてブツブツ文句を言います。私の地上のふるさとである北米インデアンについても同じです。インデアンはもともと戦争とか、俗にいう火酒(ウイスキー、ジン等の強い酒)、そのほか不幸をもたらすようなものは知らなかったのです。白人が教えてくれるまでは人を殺すための兵器は何も知らなかったのです。そのうち人間も宇宙のあらゆる生命ー動物も小鳥も魚も花も、その一つ一つが神の計画の一部を担っていることを知る日が来るでしょう。神の創造物としてそこに存在していることを知るようになるでしょう。」

 

 

古代霊は語る シルバー・バーチ霊訓より  近藤千雄訳編