なぜ苦しみがあるのか

これは、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリスの霊媒(モーリス・バーバネル)を通して語られた言葉です。

神が現実に存在し、何人も神とつながる守護霊が、いつもそばで守り導き、つらいときには援助を求める真摯な祈りが必ず届き、そして人間はどのような時も決して一人ではなく、絶望はないこと、そして人間は永遠なる魂であり、亡くなった人が今も生き続け、再び会うことができ、地上生活はその巡礼の旅路のほんの短い大切な一部であることを語った内容です。

 

なぜ苦しみがあるのか

もしも私の説く真理を聞くことによって、楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。

私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。

それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間になって下さることが、私どもの真の目的なのです。

苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。

なんらかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。

私どもは、いくらあなた方のことを思ってはいても、あなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿をあえて手をこまねいて傍観するほかない場合がよくあります。そこから教訓を学び取り、霊的に成長してもらいたいと願い祈りながらです。

魂が目を覚まし、それまで気付かなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れこめる暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。

地上の人生はしょせんは一つの長い闘いであり試練です。

魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言っても良いでしょう。

魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。すなわち動物的進化の段階の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。

そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。

地上に生まれてくるのは、その試練に身をさらすためなのです。

人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、是非とも厳しい試練が必要なのです。

悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつものです。

悲しみは、それが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。

魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためには、よほどの体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。

もしも、その教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備の出来た時に初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら援助の手を差しのべても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。

霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。

魂の進化の程度が決するのです。

失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。

あなた方には、まだまだ発揮されていない力、それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。

苦難と困難の中にあってこそ発揮されるのです。

金魂もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。

それ以外に方法がないのです。

人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。

苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。

何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。

何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。

困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。むしろ困難の最中にある時は、それを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。

しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこのうえない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。

この世に生まれくる霊魂がみな楽な暮らしを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。

これは酷しい辛い教訓ではありますが、何事も価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。

魂の懸賞はそうやすやすと手に入るものではありません。

地上で必ずしも正義が勝つとはかぎりません。

なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。

ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。

霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分かりません。

もしかしたら、あなたにとって一番嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることも有り得るのです。

ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するように努めることです。というのは、あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸福と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。

祈りには、それなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしも、あなたが望んでいるとおりの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます。

神は決して我が子を見捨てるようなことは致しません。

解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。

悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。

「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」こうおっしゃる方があるかもしれません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。

何百年ではなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ、宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。

一つとして偶然というものが無いのです。偶然事故というものが無いのです。

すべて不変絶対の法則によって統制されているのです。

あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。

神の心をわが心とするのです。

心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きることです。

そうすれば、自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。

恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕みます。恐怖心は理性を挫き、枯渇させ、マヒさせます。あらゆる困難を克服させるはずの力を打ちひじき、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼びおこします。

つとめて恐れの念を打ち消すことです。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱すことがあってはなりません。

霊の力はすなわち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。ただ単に力が絶対というだけではありません。絶対的は叡智であり、絶対的な愛でもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力が控えているのです。

はがねは火によってこそ鍛えられます。

魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそです。苦難の時こそ、あなたが真に生きている貴重な証です。

夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗黒の体験なくてはなりません。

そんな時、大切なのは、あくまでも自分の責務に忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです。

霊的知識を手にした者は、挫折も失敗も神の計画の一部であることを悟らなくてはいけません。

陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離なもの、いわば硬貨の表裏のようなものです。表裏一体なのですから、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのです。

人間の進化のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。

恐怖心、信念の欠如、懐疑の念は、せっかくの霊的雰囲気をかき乱します。

私たち霊は信念と平静の雰囲気の中において初めて人間と接触できるのです。

怖れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。

 太陽がさんさんと輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり貯金もあるような時に神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスです。

しかるべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。

何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。

そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来あがります。

そしていったん霊的知識に目覚めると、その時から、あなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。

そしていったん身につけたら、もう二度と失うことはありません。それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。

魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。

霊的進化の段階を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。

あなたはしょせん、現在のあなたを超えることはできません。そこがあなたの限界と言えます。が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。

いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。

霊は物質に勝ります。霊は何ものにも勝ります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。

なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。

 

                         シルバーバーチの霊訓(1) 三章