以下の内容は、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリス人の霊媒(モーリス・バーバネル)「霊媒とは、亡くなった人の霊が人間の口を借りて語る時の、口となる人のこと」を通して語られた言葉です。

 

 

質問「他界した肉親や先祖霊からの援助を受けるにはどうすればいいでしょうか。」

 

シルバーバーチが答える

「あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が、決して去ってしまうことはありません。その人たちの念があなたがたを動かしています。

必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなたがたが恐怖や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。

悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。

穏やかな心、やすらかな気持ち、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。

私たち霊界の者は、できるだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合い、進化の程度にかかっています。霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。

霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。

宗教の違い、民族の違い、主義主張の違い、そんなものはどうでもよろしい。冷静で、穏やかで、明るい心を保つことです。それが霊界の愛する人々、先祖霊、高級霊からの援助を得る唯一の道です。恐れ、悩み、心配、こうした念がいちばんいけません。」

 

古代霊は語る(シルバー・バーチ霊訓より)  訳編者 近藤千雄

以下の内容は、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリス人の霊媒(モーリス・バーバネル)「霊媒とは、亡くなった人の霊が人間の口を借りて語る時の、口となる人のこと」を通して語られた言葉です。

 

霊的進化の末に二度と地上世界へ生身に宿って戻ってくる必要のない段階まで到達いたしました。

霊界の上層部には、神庁とでも呼ぶべきものが存在します。それに所属するのは格別に進化をどげた霊、高級神霊です。その仕事は立案された創造進化の計画を円満に進展させることです。

その神庁から私にお呼びが掛かり、これまでの進化で私が得たものを一時お預けにして可能なかぎり地上圏に近づき、その高級指導霊たちのメッセンジャーとして働いてくれないかとの要請をうけたのです。

私の役目はその指導霊たちの教えを取り次ぎ、一人でも多く、受け入れる用意のできた人間にお届けすることです。私は喜んでその要請をお引き受けしました。それが半世紀近くにもわたってたずさわってきた私の使命なのです。

その仕事のために私はこの国の言語である英語を学ばねばなりませんでした。

私が地上でしゃべっていた言語は英語ではありませんでした。そこで、出発に際して指導霊から、地上で仕事をするには英語をしっかりマスターすること、その文法と構文をよく勉強しておかないといけないと言われました。

私にとって困ったことが一つありました。地上との接触には霊界の霊媒が必要だということです。私自身が直接地上の霊媒接触することは不可能だったのです。

それは、私が到達した進化の階梯と霊媒のそれとが違いすぎて波長が合わないからです。そこで私はもう一人、変圧器に相当する者を必要としたのです。

指導霊たちが用意してくれたトランスは地上でレッドインディアンに属していた霊の霊体でした。私に授けられる教えを地上へ伝達するための中間の媒体として、それが一ばん適切だったのです。

私は絶対に過ちを犯さない、進化の頂上をきわめた霊ではありません。そういうことは有り得ないことです。進化というのは永遠に続く過程だからです。これで完全です、というピリオドはないのです。

向上すればするほど、まだその先に向上の余地があること知るのです。

私たちがお届けするのは、神の叡智とインスピレーションの宝庫から取り出した崇高な真理です。といって私たちはそれを無理にも信じていただこうとは思っておりません。

私たちの言う通りにしなさいとは申しません。宇宙の大霊との調和にとってこれ以上の良い方法はないと断言しているのでもありません。

私たちが断言すること、私たちの精一杯の思いを込めて断言するのは、霊の真理はいかに厳しい理性と知性と体験によって試されても、それに耐え得るものであるということです。私の述べることに対して皆さんが何と反論なさろうと、それによって罰が当たる心配はご無用です。

神は人間に一定限度内の自由意志を与えてくださっています。操り人形ではないのです。知性をお持ちです。理性をお持ちです。自分で判断し、決断し、反省し、自分の意志を形成し、体験から知恵を学んでいく能力をお持ちです。

私たちはその能力を通して皆さんの賛同と協力を得たいのです。反発を覚えながらでは困るのです。

理性は神から授かった大切な能力の一つだからです。

人生には何ごとにも二面性があります。光があれば闇があります。安らぎがあれば苦労があります。

 もしも晴天の日ばかりだったら、晴天の有難さは分からないでしょう。

時には嫌な思いをさせられる体験を通して、あることを学ばされることがあります。

いずれ皆さんもこちらにお出になって地上生活を振り返った時は、きっとこう思われることでしょう。いちばん大切な教訓を学んだのは生活が楽だった時ではなく、嵐が吹きまくり雷鳴が轟き稲妻が走り太陽が雲にさえぎられて、すべてが暗く絶望的に思えた時だったと。

魂が内在する可能性を発揮するのは逆境の中にある時こそです。

のんきな生活の中では霊性は磨かれません。苦しい道こそ有難いのです。

その道を歩み続けるうちに見慣れた道路標識や目印(伝統的な宗教儀式、迷信的概念、生活習慣等)が後へ後へと残されていきます。が心の奥では自ら見出して真理を土台とした信念がますます深まりゆくものです。

過ぎ去ったことは忘れることです。すでに後ろのものとなりました。前にあるものが大切です。言うまでもなく、今あなたが味わっている結果を生み出した原因は過去にあります。しかし同時にあなたは、これから結果を生み出す原因を今作りつつあるのです。良いタネを蒔くように努力なさることです。月並みなことを申すようですが、やはり真実です。取り越し苦労はいけません。心配の無知から生じます。

真理の光の中で生きることです。

地上というところは、あなたがこれまで大勢の人にいろいろとお世話になったように、他人のために自分を役立てるためのチャンスを与えてくれるようになっております。

道は必ず開かれます。

あなたは人間である以上いろいろと間違いを犯します。弱点をお持ちです。長所ばかりではありません。人間味の本質は欠点があるということなのです。だからこそ地上へ来ているのです。

その地上において完全を成就するということは不可能です。

しかしいずれ生活することになる次の世界に備えて、その地上にいるうちに教訓を身につけていくのです。

 

 

(そこでその日のゲストの二人がお礼の言葉を述べかけると、それを制して、私への感謝は無用ですと言い、その理由をこう説明する)

 

私が感謝をお断りするのは、私が非常にいけないと思っている傾向をたびたび見てきているからです。

いわゆる指導霊信仰というのがそれです。指導霊というのは崇拝の対象とされることを望まないものなのです。唯一崇拝の対象とすべきものは宇宙の大霊すなわち神です。

無限なる霊であり、至高の創造主であり、光と愛と叡智と真理とインスピレーションの極致です。本来はそれに向けられるべき崇拝の念を私のようなお門違いのところへ向けられては困るというにすぎません。

私は全知識の所有者ではありません。霊的進化の終点まで到達したわけではありません。まだまだ辿らねばならない道が延々と続いております。ただ、あなた方地上の人間にくらべれば幾らかは年季が入っておりますので、私を豊かにしてくれることになった霊的真理を幾つか知っております。

その知識を受け入れる用意のできている地上の人たちと分かち合うために、私はこれまで巡ってきた道を後戻りしてまいりました。私はまだまだ完全ではありません。相変わらず人間味を残しておりますし、間違いも犯します。しくじることもあります。

しかし私は、授かった真理をなるべく多くの人たちにお届けするために、私なりの最善を尽くす所存です。

こうして人のために役立つ仕事にたずさわれるのは光栄なことです。

幸いなことに私は地球浄化の大事業の推進に当たっている霊団からの指示を仰ぎつつ真理を語ることを許されています。

その霊団がいわば大本営なのです。霊界の政庁に属する高級神霊たちであり、造化の大霊の意志の推進という重責を担っているのです。その手元である私を通じて、たった一人でも真理の光を見出すことができれば、私にとって大きな喜びです。

 

 

あなたがもう一度肉体をまとって誕生なさる可能性はありますか。

 

ありません。私はもう二度と再生はしません。私にとって地上の年季奉公はもう終わっています。こうして戻ってきたのは皆さんを始め地上の人々の力となり、絶対に裏切ることのない霊的摂理と真理とをお教えするためです。

人間が地上を仮の宿とした霊的存在であることをお教えして元気づけてあげたいと思っているのです。

私は本来、今は、この地上界の者ではありません。

私の住処は別の次元にあります。

あらゆる面での生活条件が地上よりはるかに恵まれ、交わる相手や仲間はみな光輝く存在です。が、その高級霊たちと会えるのは、指導を仰ぎにこの地上圏を後にした時だけなのです。

地上というところは私たちにとって何一つ魅力のない世界です。

その指導霊たちと相談を終えると、私は再びこの憎しみと強欲と愚かさに満ちた世界へやってまいります。

その時に味わう何ともいえない冷ややかさを温めてくれるのは、私へ理解と愛の心を向けて下さる同志の皆さんです。それが何とかこの仕事をやり甲斐あるものにしてくれるのです。

そうした同志をこれほど多く獲得できた私は本当に幸せ者だと思っております。

私がお届けしているのは、私がこれこそ基本的真理であると見ているものばかりでして、それを地上の受け入れる用意のできた方が理解しやすいように、英語で表現しているだけです。

その中には人間の知性を侮辱したり理性に反発を覚えさせたりするものは何一つありません。

すべては愛に発しているからです。

愛こそが霊の正貨なのです。

愛に発した奉仕がいちばん尊いのです。これに勝る宗教はありません。

 

 

シルバーバーチの霊訓十一巻                          一章シルバーバーチの自己紹介

トニー・オーツセン編 近藤千雄訳

以下の内容は、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリスの霊媒(モーリス・バーバネル)「霊媒とは、亡くなった人の霊が人間の口を借りて語る時の、口となる人のこと」を通して語られた言葉です。

 

神とは永遠不変にして全智全能の摂理としての宇宙の大霊です。私はその摂理にいかなる不完全さも欠陥も不備も見つけたことがありません。

あなた方の世界と私たちの世界、まだ人間に知られていない世界を含めた全宇宙が神の法則の絶対的な支配下にあります。その法則を超えたことは何一つ起きません。

すべてが自然法則すなわち神の摂理の範囲内で起きているのですから、すべてが知れるのです。

                        シルバーバーチの霊訓十二巻八章

 

神は万物の内側にも外側にも存在しています。神から離れては誰一人存在できません。

神から切り離されるということがありえないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さいものでも、存在を有するかぎりは、すべての生命の中に宿っています。

あらゆるものを支配し、あらゆるものから離れず、存在するものすべてに内在している崇高な力です。

                       シルバーバーチの霊訓十一巻四章

 

あなた方一人ひとりが大霊の一部であり、あなたと大霊との間に仲介役というものは要りません。

                       シルバーバーチの霊訓十二巻十二章

 

あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊と繋がっています。

                       シルバーバーチの霊訓一巻一章

 

質問「私たちから大霊(神)に直接語りかけることはできるのでしょうか。」

 

シルバーバーチが答える

「大霊には無数のメッセンジャー、無数のチャンネルがあります。

神意を行きわたらせることを任務とした高級神霊の一大組織が張りめぐらされております。ですから、もしあなたが大霊に向かって語りかければ、黙って念じるだけでも、精神統一でも、あるいは声に出して祈ることによってでも、あなたの意志が大霊に届けられます。声に出すということは良いことです。

念じるだけではとかく乱れやすい思念を明確にまとめ、具象化することになるからです。

しかし、声に出す出さないに関係なく、衷心からの切望は大霊に知られると同時に、神意の行政を司る任にある高級霊に届きます。」

                       シルバーバーチの霊訓十一巻四章

 

 

 

 

 

 

 

 

以下の内容は、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリス人の霊媒(モーリス・バーバネル)を通して語られた言葉です。

これらを読んで、神が現実に存在することを知って下さい。

何人も神とつながる守護霊が、生まれる以前から一人一人に付き添い、いつもそばで守り導き、つらい時には援助を求める真摯な祈りが必ず届くことを知って下さい。

人間は皆、魂の成長のために、この地上に生まれ、多くの苦難を経験します。

しかし、人間はどのような時も決して一人ではありません。

背後霊(守護霊)は、いつも、あなたを愛し、守り導き、あなたの苦しみや悲しみ、悩みを全て分かっています。そして、いつも応援し、必ず味方となり、生きる道を教えてくれます。

その存在を意識し、どんな時でも、背後霊(守護霊)がそばであなたに、解決できること、生きる道があることを伝えようと必死になっていることを知って下さい。

どんなに目の前が暗く、絶望的な時でも、死を選ばなくても、必ず解決策が存在し、生きる希望があることを知って下さい。

あなたの背後霊(守護霊)に、援助と指導を求めて祈って下さい。

 

質問「人間一人ひとりに守護霊がついているのですか。」

シルバーバーチ「母体内での受胎の瞬間から、あるいは、それ以前から、その人間の守護の任にあたる霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。

守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。

守護霊は決まって一人だけですが、その援助に当たる霊は何人かおります。

守護霊には、その人間の辿るべき道が、あらかじめ分かっております。」

                シルバーバーチの霊訓(1) 第10章 質問に答える

 

危機に立ち至ったら、それまでの過去を振り返って、お先真っ暗の絶対絶命の時に、道が開かれてきたことを思い出して下さい。そこに背後霊(守護霊)の導きがあったのです。

それは、この後も決して見棄てることはありません。

           シルバーバーチの霊訓(12) 第11章 力強く生きるための叡智

 

あなたが一人ぽっちでいることは決してありません。困難の中で一人で悪戦苦闘させられることはありません。

たとえ目に見えず、耳に聞こえず肌に感じられなくても、背後霊(守護霊)の影響が常にあなたを包んでおります。

           シルバーバーチの霊訓(12) 第11章 力強く生きるための叡智

 

いついかなる時も、あなたの身の周りには見えざる存在がいて、あなたを導き、守護し、あなたの存在価値を最大限に発揮させるべく働きかけているということです。

一人ぽっちでいることは決してありません。

見捨てられることは絶対にありません。

いついかなる時も愛のマントに包まれております。

              シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音・40

 

たとえ目には見えなくても、常に導きを怠ることなく、愛の手が、あなた方の周りにあることを忘れないで下さい。

                         シルバーバーチの霊訓 1-114

 

自分が決して宇宙で一人ぽっちではないこと、いつも周りに自分を愛する霊がいて、ある時は守護し、ある時は導き、ある時は補佐し、ある時は霊感を吹き込んでくれていることを自覚していただきたい。

                  シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来・66

 

いつも明るく楽天的で愉快な気分を忘れないようにして下さい。うなだれてはいけません。

背後霊(守護霊)にとって最も働きかけやすい雰囲気は、陰うつさや落胆や絶望感のない状態です。そうした陰湿な感情は、あなたのオーラを包み込み、背後霊(守護霊)にとって厄介な障害となります。

           シルバーバーチの霊訓(12) 第11章 力強く生きるための叡智

 

地上の友達がすべて逃げ去り、自分一人取り残され、誰もかまってくれず、忘れ去られたかに思える時でも、背後霊(守護霊)の存在を知る者は、霊の世界からの温もりと親密さと愛があることを思い起こすことができます。

              シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音・253

 

他人がどう言おうと気にしてはいけません。非難・中傷など全て忘れることです。

                          シルバーバーチの霊訓 3-67

 

来る日も来る日も、この世的な雑用に追いまくられていると、背後霊(守護霊)の働きがいかに身近なものであるかを実感することは困難でしょう。しかし事実、常に周りに存在しているのです。

あなたが一人ぽっちでいることは決してありません。

                         シルバーバーチの霊訓 6-154

 

勇気をもって進みなさい。落胆や失敗がないというのではありません。これからも数多くの落胆や失敗があることでしょう。しかし、いかなる事態にあっても、あなたの背後には、困難に際しては情熱を、疲れた時には元気を、落胆しそうな時には励ましを与えてくれる霊が控えてくれていることを忘れてはなりません。

一人ぽっちということは決してないということです。

           シルバーバーチの霊訓(12) 第11章 力強く生きるための叡智

 

質問「祈りに効果があるでしょうか。」

シルバーバーチ「魂のやむにやまれぬ叫び、霊的活動としての祈り、暗闇に光を求める必死の祈り、万物の背後に控える霊性との融合を求める祈り、そうした祈りには魂の内省があります。魂の奥底からの欲求、より多くの知識、より深い悟り、より強い力を求める魂の願望は、自動的に満たされるものです。つまり、その願望が霊的に一種のバイブレーションを引き起こし、そのバイブレーションによって当人の霊的成長に応じた分だけの援助が自動的に引き寄せられます。

危険の中にあっての祈りであれば、保護のためのエネルギーが引き寄せられ、同時に救急のための霊団が派遣されます。それは血縁関係によって、つながっている霊もおれば、愛の絆によって結ばれている霊魂もおります。」

                シルバーバーチの霊訓(1) 第10章 質問に答える

 

もし、どの方向に進むべきか分からなくなったときは、いったん休止して心の平静を取り戻すことが大切です。

そして霊界からの指導と援助を求めて祈るのです。

              シルバーバーチの霊訓(シルバーバーチの教え・下・87)

 

思い煩ってはなりません。心配の念はせっかくの援助の通路を塞いでしまいます。

私はいつも取り越し苦労はおやめなさいと申し上げております。心配の念は有毒です。

悪気を生み出し、それが、あたりを取り囲みます。陰湿な雰囲気で包まれてしまいます。

その状態になると霊の力も突き通せなくなります。

                         シルバーバーチの霊訓 9-65

 

取り越し苦労は最悪の敵です。精神を蝕みます。霊界から送られてくるはずの援助の通路を塞いでしまいます。

あなたを包んでいる物的、精神的、霊的雰囲気を乱します。理性の敵でもあります。

透徹した人生観と決断力という二つの人生最大の味方の妨げになります。

           シルバーバーチの霊訓(12) 第11章 力強く生きるための叡智

 

困難な仕事は頑健な人間に当てがわれます。タフな人間に、やさしい仕事を与えるのは無駄というものです。

厳しい使命が与えられるということは、その人が霊的に有能であることの指標です。

無知と迷信との闘いに臨む将軍は厳しい教訓によって鍛えられていなければなりません。さもないと、その任に耐えられません。ですから、矛盾しているように思えるかも知れませんが、仕事が困難であればあるほど、それだけ成就されるものも大きいということになります。

           シルバーバーチの霊訓(12) 第11章 力強く生きるための叡智

 

だれの人生にも道しるべが用意されております。もしも霧(心の迷い)によって、それがぼやけて、よく見えなくなった時は、いったん足を止めることです。

ただの霧ですから、そのうち晴れて、また辿るべき道が見えてきます。

雲にさえぎられている時でも太陽は照り輝いているのです。

           シルバーバーチの霊訓(12) 第11章 力強く生きるための叡智

 

 

 

なぜ苦しみがあるのか

これは、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリスの霊媒(モーリス・バーバネル)を通して語られた言葉です。

神が現実に存在し、何人も神とつながる守護霊が、いつもそばで守り導き、つらいときには援助を求める真摯な祈りが必ず届き、そして人間はどのような時も決して一人ではなく、絶望はないこと、そして人間は永遠なる魂であり、亡くなった人が今も生き続け、再び会うことができ、地上生活はその巡礼の旅路のほんの短い大切な一部であることを語った内容です。

 

なぜ苦しみがあるのか

もしも私の説く真理を聞くことによって、楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。

私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。

それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間になって下さることが、私どもの真の目的なのです。

苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。

なんらかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。

私どもは、いくらあなた方のことを思ってはいても、あなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿をあえて手をこまねいて傍観するほかない場合がよくあります。そこから教訓を学び取り、霊的に成長してもらいたいと願い祈りながらです。

魂が目を覚まし、それまで気付かなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れこめる暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。

地上の人生はしょせんは一つの長い闘いであり試練です。

魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言っても良いでしょう。

魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。すなわち動物的進化の段階の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。

そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。

地上に生まれてくるのは、その試練に身をさらすためなのです。

人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、是非とも厳しい試練が必要なのです。

悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつものです。

悲しみは、それが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。

魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためには、よほどの体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。

もしも、その教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備の出来た時に初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら援助の手を差しのべても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。

霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。

魂の進化の程度が決するのです。

失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。

あなた方には、まだまだ発揮されていない力、それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。

苦難と困難の中にあってこそ発揮されるのです。

金魂もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。

それ以外に方法がないのです。

人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。

苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。

何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。

何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。

困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。むしろ困難の最中にある時は、それを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。

しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこのうえない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。

この世に生まれくる霊魂がみな楽な暮らしを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。

これは酷しい辛い教訓ではありますが、何事も価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。

魂の懸賞はそうやすやすと手に入るものではありません。

地上で必ずしも正義が勝つとはかぎりません。

なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。

ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。

霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分かりません。

もしかしたら、あなたにとって一番嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることも有り得るのです。

ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するように努めることです。というのは、あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸福と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。

祈りには、それなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしも、あなたが望んでいるとおりの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます。

神は決して我が子を見捨てるようなことは致しません。

解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。

悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。

「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」こうおっしゃる方があるかもしれません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。

何百年ではなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ、宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。

一つとして偶然というものが無いのです。偶然事故というものが無いのです。

すべて不変絶対の法則によって統制されているのです。

あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。

神の心をわが心とするのです。

心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きることです。

そうすれば、自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。

恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕みます。恐怖心は理性を挫き、枯渇させ、マヒさせます。あらゆる困難を克服させるはずの力を打ちひじき、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼びおこします。

つとめて恐れの念を打ち消すことです。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱すことがあってはなりません。

霊の力はすなわち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。ただ単に力が絶対というだけではありません。絶対的は叡智であり、絶対的な愛でもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力が控えているのです。

はがねは火によってこそ鍛えられます。

魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそです。苦難の時こそ、あなたが真に生きている貴重な証です。

夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗黒の体験なくてはなりません。

そんな時、大切なのは、あくまでも自分の責務に忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです。

霊的知識を手にした者は、挫折も失敗も神の計画の一部であることを悟らなくてはいけません。

陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離なもの、いわば硬貨の表裏のようなものです。表裏一体なのですから、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのです。

人間の進化のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。

恐怖心、信念の欠如、懐疑の念は、せっかくの霊的雰囲気をかき乱します。

私たち霊は信念と平静の雰囲気の中において初めて人間と接触できるのです。

怖れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。

 太陽がさんさんと輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり貯金もあるような時に神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスです。

しかるべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。

何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。

そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来あがります。

そしていったん霊的知識に目覚めると、その時から、あなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。

そしていったん身につけたら、もう二度と失うことはありません。それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。

魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。

霊的進化の段階を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。

あなたはしょせん、現在のあなたを超えることはできません。そこがあなたの限界と言えます。が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。

いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。

霊は物質に勝ります。霊は何ものにも勝ります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。

なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。

 

                         シルバーバーチの霊訓(1) 三章

 

あなたとは何か なぜ生まれてきたのか

 これは、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリス人の霊媒(モーリス・バーバネル)を通して語られた言葉です。

神が現実に存在し、何人も神とつながる守護霊が、いつもそばで守り導き、つらいときには援助を求める真摯な祈りが必ず届き、そして人間はどのような時も決して一人ではなく、絶望はないこと、そして人間は永遠なる魂であり、亡くなった人が今も生き続け、再び会うことができ、地上生活はその巡礼の旅路のほんの短い大切な一部であることを語った内容です。

 

あなたとは何か

あなた方は本来、霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。

霊的部分が本来のあなたなのです。

それはこの全大宇宙を創造し計画し、運用してきた大いなる霊(神)と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる神の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。

生命は物質ではありません。霊なのです。

生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊(神)と繋がっています。

真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在なのです。

肉体は霊がその機能を行使できるように出来上がっております。

その形体としての存在はほんの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。

その辺の理解ができた時こそ、あなたの内部の神性が目を覚ましたことになります。

そうなった時こそ地上生活本来の目的である霊と肉との調和的生活が始まるのです。

魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。

これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるで無くても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にします。その存在を認識しただけで一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し延べます。

                         シルバーバーチの霊訓(1) 一章

 

なぜ生まれてきたのか

地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。

何も知らずに誕生してくるのではありません。

自分にとって必要な向上進化を促進するには、こういう環境で、こういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。

ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。

人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。

笛に踊らされる人形ではないのです。

人間の一人一人に分霊が宿っており、一人一人が無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなた方には個的存在としての責任と同時に、ある限度内の自由意志が与えられているのです。

自由意志といっても、大自然の法則の働きを阻止することができるという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。

運命全体としての枠組みは出来ております。しかしその枠組みの中で、あなた方が予定した予定表に従いながら、どれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。

もしかしたらその予定表さえ自覚できないかもしれません。でも魂は神性を宿すが故に常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。

ときにはそれが悲嘆、無念、苦悩、苦病という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ、目を覚まさせることになります。

人のために己れを棄てる仕事にもいろいろあります。

あるものは人目につく派手なものであり、あるものは人目につかない静かな聖域で行われます。

いずれにせよ大切なのは人のために役立つことです。霊的真理の悟りを一人でも多くの、受け入れる用意のできた人に施すことです。

不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、人生とは何かについて、表面的なことではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません。

大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知ることです。

その地上生活を無知の暗闇の中ではなく、叡智の光の中で、肩をすぼめず背筋をまっすぐに伸ばして、怖れを抱かず堂々たる落ち着きをもって生きるべきです。

霊的なものにとって、恐れるということが何よりも強烈な腐食作用を及ぼします。恐怖心と心配の念は、私たちが特に不断の警戒を要する敵です。

なんとなれば、それが霊力が作用する通路を塞いでしまうからです。

光の中ばかりで暮らしておれば光の有難さは分かりません。公明が有難く思われるのは暗闇の中で苦しめばこそです。

こちらの世界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、そちらの世界での苦労を十分に体験しなければなりません。

果たすべき義務を途中で投げ出してこちらへ来た者は、こちらで用意している喜びを味わうことはできません。少なくとも永続的な幸せは得られません。

人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時に、あなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。

この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。

その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の階段へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。

時として人生が不公平に思えることがあります。

ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。

しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。

私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。

なぜなら神の摂理がその通りには働かなかった例を、一つとして知らないからです。

こちらへ来た人間が、自分は両方の世界を体験したが、私は不公平な扱いを受けているというなどと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。

神は絶対に誤りを犯しません。

自分に生命を賦与してくれた力がきっと支えてくれるという自信をもつことです。

あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。

正しい条件さえ整えば、その神性は、神からの遺産として、あなたに人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を用意してくれます。

故にあなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平穏で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。

その状態にあるかぎり万事がうまくいき、必要とするもの全てが施されるとの確信をもたなければいけません。

安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。神は決してあなた方を見捨てません。見捨てるのはあなた方の方です。あなた方が神を見捨てているのです。

困難に直面した時、その神の遺産を結集し、必ず道は開けるのだという自信をもつことです。

不動の信念をもてば道は必ず開かれます。

これはすでに私が何年にもわたって説いてきたことです。真実だからです。

実践してみればそのとおりであることを知ります。

霊性を悟ることは容易なことではありません。

もし容易であれば価値はありません。その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力し自分で苦労しなくてはなりません。

しかし同時にそれは登るにつれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。

                        シルバーバーチの霊訓(1) 二章

 

 

 

これは、三千年前に古代の時代に生きていた人間の霊(シルバーバーチ)により、1920年、イギリス人の霊媒(モーリス・バーバネル)を通して語られた言葉です。

神が現実に存在し、何人も神とつながる守護霊が、いつもそばで守り導き、つらいときには援助を求める真摯な祈りが必ず届き、人間はどのような時も決して一人ではなく、絶望はないこと、そして人間は永遠なる魂であり、亡くなった人が今も生き続け、再び会うことができ、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い大切な一部であることを語った内容です。

 

 神とは

神とは宇宙の自然法則です。全生命の背後に存在する創造的エネルギーです。

完全なる愛であり完全なる叡智です。

神は宇宙のすみずみまで行きわたっております。

誰一人おろそかにされることはありません。

誰一人見落とされることはありません。

誰一人として一人ぽっちの者はいません。

神の法則の働きの及ばない人、範囲からはみ出る人など一人もいません。あなたがこの世に存在しているという事実そのものが神の摂理の証です。

                             シルバーバーチの霊訓(3)(12)

 

なぜ生まれてきたのか

人間は永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い大事な一部です。

人生の目的は霊の世界から物質の世界に来て、再び霊の世界へ戻ったときに、あなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。

あなたが地上に生まれて来たのは、陰性なもの邪悪なものを克服して霊的に一段と強くなるためです。

地上の人生はしょせん一つの闘いであり試練です。

肉眼で見ることも肌で触れてみることもできませんが、誕生の時から、常に守護霊(背後霊)が、あなたを守り、援助し、鼓舞し、もっとも生き甲斐のある生き方へと導いてくれております。

                            シルバーバーチの霊訓(1)(12)

 

 守護霊(背後霊)の存在があること

来る日も来る日もこの世的な雑用に追いまくられていると、守護霊(背後霊)の働きがいかに身近なものであるかを実感することは困難でしょう。しかし事実、常にまわりに存在しているのです。

あなたが一人ぽっちでいることは決してありません。

援助を求める真摯な熱意がなおざりにされることは決してありません。衷心からの祈りにより、霊的つながりができます。

精神誠意、魂の底からの祈りは、守護霊(背後霊)との一体化を促進します。

困難の中で一人で悪戦苦闘させられることはありません。常に導きを怠ることなく、愛の手があなた方のまわりにあることを忘れないで下さい。

たとえ目に見えず、耳に聞こえず肌に感じられなくても、守護霊(背後霊)の影響が常に、あなたを包んでおります。

危機に立ち至ったら、それまでの過去を振り返って、お先真っ暗の絶対絶命の時に、道が開かれてきたことを思い出して下さい。

そこに守護霊(背後霊)の導きがあったのです。

それはこの後も決して見棄てることはありません。

                        シルバーバーチの霊訓(1)(6)(12)

 

 どんなときも、決して一人ではないこと

思い煩ってはいけません。あらゆる不安の念を振り切って下さい。

落胆や失敗がないというのではありません。これからも数多くの失敗と落胆があることでしょう。しかし、いかなる事態にあっても、あなたの背後には、困難に際しては情熱を、疲れた時には元気を、落胆しそうな時には励ましを与えてくれる霊が控えてくれていることを忘れてはなりません。

一人ぽっちということは決してないということです。

取り越し苦労は大敵です。心配の念はせっかくの霊界から送られてくるはずの援助の通路を塞いでしまいます。

背後に控える力は物質界の全勢力を結集したものより、さらに強力です。

自信をもつのです。道はきっと開けるという確信を持つのです。          

シルバーバーチの霊訓(1)(9)(12)

シルバーバーチ 愛の摂理

 

 亡くなった人と、必ず会えること

あなたの愛する人たち、それからあなたを愛してくれている人たちは、死を境にして物質的には別れ別れになっても、霊的には今まで通りにつながっており、死後、再び会うことができます。

あなた方が涙を流して嘆き悲しんでいる時、その人はあなた方のすぐ傍に黙って立っている、黙ってというのは、あなた方が聞く耳を持たないために聞こえないことを言っているまでです。本当は自分の存在を知らせようとして何度も何度も叫び続けているのです。愛は死よりも強いのです。

愛は霊力と同じ宇宙で最も大切なエネルギーです。

愛によって結ばれた仲が死によって引き裂かれることは決してありません。    

シルバーバーチの霊訓(3)(12)     古代霊は語る