古代霊は語る シルバー・バーチ霊訓より

これから記載する内容は、「古代霊は語る シルバー・バーチ霊訓より(近藤千雄訳編)」の本の中身を章ごとに記載していきます。(シルバー・バーチの言葉以外は省略した箇所があります。)

 

巻頭言

 あなたがもしも古き神話や伝来の信仰をもって足れりとし、あるいは既に真理の頂上を極めたと自負されるならば本書は用はない。がもしも人生とは一つの冒険であること、魂は常に新しき視野、新しき道を求めて已まぬものであることをご承知ならば、ぜひお読みいただいて、世界の全ての宗教の背後に埋もれてしまった必須の霊的真理を本書の中に見出していただきたい。

 そこには全ての宗教の創始者によって説かれた訓えと矛盾するものは何一つない。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に必要不可欠な霊的知識が語られている。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に明かりを灯し、魂を豊かにしてくれることであろう。

                               シルバー・バーチ

 

はじめに

 シルバー・バーチSilver Birchというのは、英国のハンネン・スワッハー・ホームサークルHannen Swaffer Home Circleという家庭交霊会において、1920年代後半から五十年余りにわたって教訓を語り続けてきた古代霊のことで、紀元前1000年ごろ地上で生活したということです。

 もちろん仮りの呼び名です。これまで本名すなわち地上時代の姓名を教えてくれるよう何度かお願いしましたが、その都度、

 「それを知ってどうしようというのですか。戸籍調べでもなさるおつもりですか」と皮肉っぽい返事が返ってくるだけです。そして、

 「人間は名前や肩書きにこだわるからいけないのです。もしも私が歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことに一段と箔がつくと思われるのでしょうが、それは非常にタチの悪い錯覚です。前世で私が王様であろうと乞食であろうと、大富豪であろうと奴隷であろうと、そんなことはどうでもよろしい。私の言っていることが成るほどと納得がいったら真理として信じて下さい。そんなバカな、と思われたら、

どうぞ信じないで下さい。それでいいのです。」というのです。今ではもう本名の詮索はしなくなりました。

 霊視家が画いた肖像画は北米インデアンの姿をしていますが、これには三つの深い意味があります。

 ひとつは、実はそのインデアンがシルバー・バーチその人ではないということです。インデアンはいわば霊界の霊媒であって、実際に通信を送っているのは上級神霊界の高級霊で、直接地上の霊媒に働きかけるには余りに波長が高すぎるので、その中継役としてこのインデアンを使っているのです。

 もう一つは、その中継役としてインデアンを使ったのは、とかく白人中心思考と科学技術文明偏重に陥りがちな西洋人に対し、いい意味での皮肉を込めていることです。

 むろん、それだけが理由の全てではありません。インデアンが人種的に霊媒としての素質においてすぐれているということもあります。そのことは同じ英国の著名な霊媒エステル・ロバーツ女史Estelle Robertsの司配霊レッド・クラウドRed Cloud、グレイス・クック女史Grace Cookの司配霊ホワイト・イーグルWhite Eagleなどがともに(男性の)インデアンであることからも窺えます。

 そして表向きはそのことを大きな理由にしているのですが、霊言集を細かく読み返してみますと、その行間に今のべた西洋人の偏見に対するいましめを読み取ることが出来ます。

 さらにもう一つ注意しなければならないことは、どの霊姿を見る場合にも言えることですが、その容姿や容貌が必ずしも現在のその霊そのものではなく、地上時代の姿を一時的に捉えて見せているにすぎないことが多いことです。シルバー・バーチの場合も、地上に降りる時だけの仮化粧と考えてよいでしょう。

 さて、シルバー・バーチの霊訓は「霊言集」の形でこれまで十一冊も出版されております。

ホームサークルの言葉どおり、ロンドンの質素なアパートでの非常に家庭的な雰囲気の中で行われ、したがって英国人特有の内容や、その時代の世相を反映したものが多くみられます。たとえば第二次世界大戦勃発の頃は「地上の波長が乱れて連絡がとれにくい」とか、「連絡網の調子がおかしいので、いま修理方を手配しているところだ」といった興味深い言葉も見られます。

 何しろ1920年代に始まり、半世紀以上にわたって連綿と続けられてきたのですから、量においても質においても大変なものがあります。

 そこで私は、あまりに特殊で日本人には関心のもてないものは割愛し、心霊的教訓として普遍的な内容のものを拾いながら、同時に又、理解の便を考慮して、他の箇所で述べたものでも関連のあるものをないまぜにしながら、易しくそして親しく語りかける調子でまとめていきたいと思います。「訳編」としたのはそのためです。

 重厚な内容をもつ霊界通信の筆頭は何といってもモーゼスの「霊訓」Spirit Teachings byS.Mosesであり、学究的内容をもつものの白眉としてはマイヤースの「永遠の大道」TheRoad to Immortality by F.Myers があげられます。後者には宇宙的大ロマンといったものを感じさせるものがあります。

 私事にわたって恐縮ですが、東京での学生時代やっとのことで両書の原典を英国から取り寄せ、宝物でも手にしたような気持ちで、大学の授業をそっちのけにして、文字通り寝食を忘れて読み耽った時期がありました。

 特に「永遠の大道」はその圧巻である「類魂」の章に読み至った時、壮大にしてしかもロマンに満ちた宇宙の大機構にふれる思いがして思わず全身が熱くなり、感激の涙が溢れ出て、しばし随喜の涙にくれたのを思い出します。  

 「霊訓」は非常に大部でしかも難解です。浅野和三郎訳のものがありますが部分的な抄訳にすぎません。何しろ総勢五十名から成る霊団が控え、その最高指導霊であるイムペレーター(もちろん仮名)は紀元前五世紀に地上で生活した人物ー実は旧約聖書に出てくる予言者マラキMalachiーです。筆記者すなわち直接霊媒の腕を操った霊はかなり近代の人物が担当していますが、イムペレーターの古さに影響されてか、文章に古典的な臭いがあります。もっともそれが却って重厚味を増す結果となっているとも言えますが・・・。

 それに比べるとシルバー・バーチの霊訓はいたって平易に心霊的真理を説いている点に特徴があります。モーゼスとマイヤースが主として自動書記を手段としたのに対し、霊言現象という手段をとったことがその平易さと親しみ易さの原因と考えてもよいでしょう。

 私はこれを、さきほど述べたように、一冊の原書を訳すという形式ではなく、十一冊の霊言集をないまぜにしながら、平たく分かり易く説いていく形で進めたいと考えます。

 時には前に述べたことと重複することもありましょう。それは原典でも同じことで、結局は一つの真理を角度を変えて繰り返し説いているのです。

 さらに私は、必要と思えば他の霊界通信、たとえば石のモーゼスやマイヤースの通信などからも、関連したところをどしどし引用するつもりです。大胆な試みではありますが、シルバー・バーチの霊訓の場合はその方法が一ばん効果的であるように思うのです。

 ここで、まことに残念なことを付記しなければならなくなりました。本稿執筆中の1981年7月、シルバー・バーチの霊言霊媒であったモーリス・バーバネル氏Maurice Barbanellが心不全のため急逝されたとの報が入りました。急逝といっても、あと一つで八十歳になる高齢でしたから十分に長寿を全うされ、しかも死の前日まで心霊の仕事に携わっていたのですから、本人としては思い残すことはなかろうと察せられますが、われわれシルバー・バーチ・ファンにとっては、もっともっと長生きして少しでも多くの霊言を残してほしかった、というのが正直な心境です。

 特に私にとっては、その半年前の1月にロンドンでお会いしたばかりで、あのお元気なバーバネルさんが・・・としばし信じられない気持ちでした。あの時、バーバネル氏の側近の一人が私に「あなたの背後にはこんどの渡英を非常にせかせた霊がいますね」と言ったのを思い出します。その時の私は何のことかわかりませんでしたが、今にして思えば、私の背後霊がバーバーネル氏の寿命の尽きかけているのを察知して私に渡英を

急がせたということだったようです。

 同時にそれは、私にシルバー・バーチの霊訓を日本に紹介する使命の一端があるという自覚を迫っているようでもあります。氏の訃報に接して本稿の執筆に拍車がかかったことは事実です。

 氏の半世紀余りにわたる文字通り自我を滅却した奉仕の生涯への敬意を込めて、本書を少しでも立派なものに仕上げたいと念じております。

 心霊はコマーシャルとは無縁です。一人でも多くの人に読んでいただくに越したことはありませんが、それよりも、関心をもつ方の心の飢えを満たし、ノドの渇きを潤す上で本書が少しでもお役に立てば、それがたった一人であっても、私は満足です。

 

                                 近藤千雄

 

第一章 シルバー・バーチの使命

 シルバー・バーチが地上に戻って心霊的真理つまりスピリチュアリズムを広めるよう神界から言いつけられたのは、のちにシルバー・バーチの霊言霊媒となるべき人物すなわちモーリス・バーバネル氏がまだ母体に宿ってもいない時のことでした。

 そもそもその交霊会の始まったのが1920年代のことですから、シルバー・バーチが仕事を言いつけられたのは1800年代後半ということになります。バーバネル氏が霊言能力を発揮しはじめたのは十八才正確なことはわからないにしても、とにかく人間の想像を超えた偉大な計画と周到な準備のもとに推進されたものであることは間違いありません。

 さて言いつけられたシルバー・バーチが二つ返事でよろこんで引き受けたかというと、実はそうではなかったのです。

 『正直いって私はあなた方の世界に戻るのは気が進みませんでした。地上というのは、一たんその波長の外に出てしまうと、これといって魅力のない世界です。私がいま定住している境涯は、あなた方のように肉体に閉じ込められた者には理解の及ばないほど透き通り、光に輝く世界です。

 くどいようですが、あなた方の世界は私にとって全く魅力のない世界でした。しかし、やらねばならない仕事があったのです。しかもその仕事が大変な仕事であることを聞かされました。まず英語を勉強しなくてはなりません。地上の同志を見つけ、その協力が得られるよう配慮しなくてはなりません。それから私の代弁者となるべき霊媒を養成し、さらにその霊媒を通じて語る真理を出来るだけ広めるための手段も講じなくてはなりません。それは大変な仕事ですが、私が精一杯やっておれば上方から援助の手を差し向けるとの保証を得ました。そして計画はすべて順調に進みました。』

その霊媒として選ばれたのが、心霊月刊誌Two Worldsと週刊紙Psychic Newsを発行している心霊出版社Psychic Pressの社長であったモーリス・バーバネル氏であり、同志というのは直接的にはハンネン・スワッハー氏を中心とする交霊会の常連のことでしょう。

 スワッハー氏は当時から反骨のジャーナリストとして名を馳せ「新聞界の法王」の異名をもつ人物で、その知名度を武器に各界の名士を交霊会に招待したことが、英国における、イヤ世界におけるスピリチュアリズムの発展にどれだけ貢献したか、量り知れないものがあります。

今はすでにこの世の人ではありませんが、交霊会の正式の呼び名は今でもハンネン・スワッハー・ホームサークルとなっております。 

 シルバー・バーチを中心とする霊団がロンドンの小さなアパートの一室におけるささやかなホームサークルを通じて平易な真理を半世紀以上にもわたって語り続けてきたことは、スピリチュアリズムの流れの中にあっても特筆大書に価することと言ってよいでしょう。

 しかし霊団にとっては、それまでの準備が大変だったようです。シルバー・バーチは語ります。

 『もうずいぶん前の話ですが、物質界に戻って霊的真理の普及に一役買ってくれないかとの懇請を受けました。このためには霊媒と、心霊知識をもつ人のグループを揃えなくてはならないことも知らされました。私は霊界にある記録簿を調べ上げて適当な人物を霊媒として選びました。それは、その人物がまだ母体に宿る前の話です。私はその母体に宿る日を注意深く待ちました。そして、いよいよ宿った瞬間から準備にとりかかりました。』

 この中に出てくる「霊界の記録簿」というのは意味深長です。

 神は木の葉一枚が落ちるのも見落とさないというのですから、われわれ人間の言動は細大もらさず宇宙のビデオテープにでも収められているのでしょうが、シルバー・バーチの場合は、霊媒のバーバネル氏が生まれる前から調べ上げてその受胎の日を待った、というのですから、話の次元が違います。続けてこう語ります。

 『私はこの人間のスピリットと、かわいらしい精神の形成に関与しました。誕生後も日常生活のあらゆる面を細かく観察し、霊的に一体となる練習をし、物の考え方や身体上のクセをのみ込むよう努めました。要するに私はこの霊媒をスピリットと精神と肉体の三面から徹底的に研究したわけです。』

 参考までにここに出た心霊用語を簡単に説明しておきましょう。スピリットというのは大我から分れた小我、つまり、神の分霊です。それ自体は完全無欠です。それが肉体と接触融合すると、そこに生命現象が発生し、精神が生まれます。私たちが普段意識しているのは、この精神で、ふつう心といっているものです。これには個性があります。肉体のもつ体質(大きいものでは男女の差)、それに遺伝とか自分自身及び先祖代々の因縁等が複雑に混り合っていて、それが人生に色とりどりの人間模様を織りなしていくわけです。

 シルバー・バーチは続けてこう語ります。

 『肝心の目的は心霊知識の理解へ向けて指導することでした。まず私は地上の宗教

を数多く勉強させました。そして最終的にはそのいずれにも反撥させ、いわゆる無神論者にさせました。それはそれなりに本人の精神的成長にとって意味があったのです。これで霊媒となるべきひと通りの準備が整いました。ある日私は周到な準備のもとに初めての交霊会へ出席させ、続いて二度目の時には、用意しておいた手紙に従って入神させ、その口を借りて初めて地上の人に語りかけました。いかにもぎこちなく、内容も下らないものでしたが、私にとっては実に意義深い体験だったのです。その後は回を追うごとにコントロールがうまくなり、ごらんの通りの状態になりました。今ではこの霊媒の潜在意識を完全に支配し、私の考えを百パーセント述べることが出来ます。』

 その初めての交霊会の時、議論ずきの十八歳のバーバネル氏は半分ヤジ馬根性で出席したと言います。そして何人かの霊能者が代わるがわる入神してインデアンだのアフリカ人だの中国人だのと名告る霊がしゃべるのを聞いて、アホらしいといった調子でそれを一笑に付しました。そのとき「あなたもそのうち同じようなことをするようになりますよ」と言われたそうです。

 それが二回目の交霊会で早くも現実となりました。バーバネル氏は交霊会の途中で、ついうっかり寝込んでしまし、目覚めてから「まことに申し分けない」とその失礼を詫びました。すると列席者からこんなことを言われました。

 「寝ておられる間、あなたはインデアンになってましたよ。名前も名告ってましたが、その方はあなたが生まれる前からあなたを選んで、これまでずっと指導してこられたそうです。そのうちスピリチュアリズムについて講演をするようになるとも言ってましたよ」

 これを聞いてバーバネル氏はまたも一笑に付しましたが、こんどはどこか心の奥にひっかかるものがありました。

 その後の交霊会においても氏は必ず入神させられ、はじめの頃ぎこちなかった英語も次第に流暢になっていきました。その後半世紀以上も続く二人の仕事はこうして始まったのです。

 

 では当のバーバネル氏に登場してもらいましょう。入神中の様子について氏は次のように述べています。

『はじめの頃は身体から二、三フィート離れたところに立っていたり、あるいは身体の上の方に宙ぶらりんの恰好のままで、自分の口から出る言葉を一語一語聞きとることが出来た。シルバー・バーチは英語がだんだん上手になり、はじめの頃の太いしわがれ声も次第にきれいな声ー私より低いが気持ちのよい声ーに変わっていった。ほかの霊媒の場合はともかくとして、私自身にとって入神はいわば、心地よい降服である。まず気持ちを落ち着かせ、受身的な心境になって、気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通して何とぞ最高で純粋な通信が得られますようにと祈る。すると一種名伏しがたい温かみを覚える。普段でも時おり感じることがあるが、これはシルバー・バーチと接触した時の反応である。温かいといっても体温計で計る温度とは違う。恐らく計ってみても体温に変化はないはずである。やがて私の呼吸が大きくリズムカルになり、そしていびきに似たものになる。すると意識が薄らいでいき、まわりのことがわからなくなり、柔らかい毛布に包まれたみたいな感じになる。そしてついに私が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか、私自身にもわからない。

 聞くところによると、入神はシルバー・バーチのオーラと私のオーラとが融合し、シルバー・バーチが私の潜在意識を支配した時の状態だとのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は部屋がどんなに温かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。時には私の感情が使用されたのがわかることもある。というのは、あたかも涙を流したあとのような感じが残っていることがあるからである。

 入神状態がいくら長びいても、目覚めた時はさっぱりした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして一杯の水をいただいてすっかり普段の私に

戻るのであるが、交霊会が始まってすぐにも水を一杯いただく。いそがしい毎日であるから、仕事が終わるといきなり交霊会の部屋に飛び込むこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、あるいはその日にどんな変わった出来ごとがあっても、入神には何の影響もないようである。あまり疲労がひどく、こんな状態ではいい成果は得られないだろうと思った時でも、目覚めてみると、いつもと変わらない成果が得られているのを知って驚くことがある。

 私の経験では、交霊会の前はあまり食べない方がよいようである。胸がつかえた感じがするのである。又、いろいろと言う人がいるが、私の場合は交霊会の出席者(招待者)については、あらかじめアレコレ知らない方がうまく行く。余計なことを知っていると、かえって邪魔になるのである。』

 

 バーバネル氏はシルバー・バーチのいわば専属霊媒です。かつては英米の著名人、たとえばリンカーンなども出たようですが、それは一種の余興であって、本来はシルバー・バーチに限られています。いずれにせよ、バーバネル氏が二つの心霊機関紙を発行する心霊出版社の社長兼編集長であることはよく知られていても、霊言霊媒であることは日本はもとより世界でも意外に知られていないようです。 

 これは謙虚で寡欲なバーバネル氏が自分からそのことをしゃべったり書いたりすることがまず無いということに起因しています。シルバー・バーチが絶対に地上時代の名前を明かさないという徹底した謙虚さが、そのままバーバネル氏に反映しているのでしょう。

 実は氏は自分の霊言を活字にして公表することにすら消極的だったのです。それを思い切らせたのが他ならぬハンネン・スワッハー氏でした。

 ここで私が直接面会して感じ取ったバーバネル氏の素顔を紹介しておきましょう。

 幸いにも私は1980年の暮れに渡英し、多くの心霊家に面会する機会を得ました。バーバネル氏とは新年早々の五日に心霊出版社で面会し、帰国する前日にお別れの挨拶にもう一度立ち寄りました。

 女性秘書がドアを開けてくれて社長室に入った時、バーバネル氏が意外に小柄なのにまず驚きましたが、満面に笑みをたたえて、知性と愛情にあふれたまなざしでしっかりと私の目を見つめ、無言のまま両手を差しのべて固く私の手を握り、左手でどうぞこちらへという仕草をされました。そしてインターホーンでスタッフや秘書にアレコレと(私のための)指示をされてから、ようやく私に向かって「二週目の手紙は(出発までに)間に合いましたか」という問いかけがあって、ようやく会話が始まりました。

 普通なら「はじめまして」とか「お元気ですか」といった初対面の挨拶があるところですが、そんな形式を超えた、あるいは、そんな形式を必要としない、心と心の触れ合いから入りました。

 その前日に面会したテスター氏(拙訳『背後霊の不思議』の原著者)も、背恰好といい年恰好といいバーバネル氏と実によく似た老紳士で、その応対ぶりもそっくりで、目と目が合っただけで通じ合う感じでした。

 むろんこれはお互いがスピリチュアリズムという思想においてつながっているからでしょうが、私がこれまで接触のあった英米の教育者から実業家に至る多くの外人で人格者といえる人物は、クリスチャンであろうと無神論者であろうと、不思議に東洋的なものを感じさせる雰囲気をもっていたのが印象的です。

 バーバネル氏もテスター氏もまさにその通りで、私は何の違和感もなく、まるで親戚のおじさんにでも会ったような感じでした。二人はまた大の仲良しで、お互いの名前を出すのにミスター(Mr.)を付けずに呼び棄てにします。それが却って親しみを感じさせました。

 ついでに言えば、テスター氏の家の近辺には銀色をしたカバの木がそこかしこに見られます。それを英語でシルバー・バーチと言うのです。バーバネル氏曰く、

 「テスターが二十数年前にあそこに引っ越したのも意味があったんですよ。」

テスター氏夫妻は数え切れないほどシルバー・バーチの交霊会に出席しています。

 

さてバーバネル氏とテスター氏がよく似通った紳士だと言いましたが、一つだけ大きく違うものがあります。それは声の質です。

 テスター氏の声は風貌に似合わず細く澄んだ声で、かなり早口です。これと対照的にバーバネル氏の声は太くごつい感じで、ゆっくりとしゃべります。これはシルバー・バーチの影響でしょう。

 風貌もシルバー・バーチの似顔絵に非常に似ている感じですが、シルバー・バーチが憑ってくるとその感じが一段と強まり、声がいっそうごつくなります。そして、しゃべり方が一語一語かみしめるようにゆっくりとした調子になり、英語のアクセントとイントネーション(抑揚)が明らかに北米インデアンの特徴を見せはじめます。

 しかし同時に、何とも言えない、堂々として威厳に満ちた、近づきがたい雰囲気が漂いはじめます。ハンネン・スワッハー氏はこう表現しています。

 「が、いったん活字になってしまうと、シルバー・バーチの言葉もその崇高さ、温かさ、威厳に満ちた雰囲気の片鱗しか伝えることができない。交霊会の出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバー・バーチがどんなに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることをわれわれはひしひしと感じる。決して人を諌めない。そして絶対に人の悪口を言わない。」

 これは十一冊の霊言集のうちの一冊に寄せた緒言の中から抜粋したものですが、同じ緒言の中に興味ぶかいところがありますので、ついでに紹介しておきましょう。

 「霊媒のバーバネル氏が本当に入神していることをどうやって確認するのかという質問をよく受けるが、実はシルバー・バーチがわれわれ列席者に霊媒の手にピンをさしてみるよう言いつけたことが一度ならずあった。おそるおそる軽く差すと、ぐっと深く差せという。すると当然、血が流れ出る。が入神から覚めたバーバネル氏に聞いてもまるで記憶がないし、そのあとかたも見当らなかった。

 もう一つよく受ける質問は、霊媒の潜在意識の仕業でないことをどうやって見わけるのか、ということであるが、実はシルバー・バーチとバーバネル氏との間に思想的に完全に対立するものがいくつかあることが、そのよい証拠といえよう。たとえばシルバー・バーチは再生説を説くが、バーバネル氏は通常意識のときは再生は絶対にないと主張する。そのくせ入神すると再生説を説く。」

 この緒言の書かれたのが1938年ですから、すでに四十年余りも前のことになります。私が面会した時は再生問題は話題にのぼりませんでしたが、晩年はさすが頑固なバーバネル氏も再生を信じ、記事や書物に書いておりました。

 

 本題に戻りましょう。シルバー・バーチが心霊知識普及の使命を言い渡され、不承不承ながらも引き受ける覚悟を決めたことはすでに紹介しましたが、覚悟をきめなければならない重大な選択がもう一つあったのです。それは、知識普及の手段として物理的心霊現象を選ぶか、それとも説教という手段をとるか、ということでした。

 ご承知のとおり物理的心霊現象は見た目には非常にハデで、物めずらしさや好奇心を誘うにはもってこいです。しかしそれは、その現象の裏側で霊魂が働いてい

ること、言いかえれば死後の世界が厳然と存在することを示すことが目的であって、それ以上のものではありません。

 ですから、心霊現象を見て成るほど死後の世界は存在するのだなと確信したら、もうそれ以上の用事のないものなのです。霊界の技術者たちもその程度のつもりで演出しているのです。

 ところが現実にはその思惑どおりには行っていないようです。というのは、現象は見た目には非常に不思議で意外性に富んでいますから、人間はどうしてもうわべの面白さにとらわれて、そのウラに意図されている肝心の意義を深く考えようとしないのです。

 たとえば最近テレビではやっている心霊番組をご覧になればその点に気づかれると思います。怪奇現象を起こしたり写真に写ったりする霊魂について、それが身内の人であるとか先祖霊であるとか地縛霊であるとか浮遊霊であるとか、いろいろ述べるのは結構ですし、その供養まで勧めるのはなお結構なことだと思うのですが、しかし話はいつもその辺でストップし、その先の、たとえば死後の世界が存在することの重大性とか、その世界が一体どんな世界なのか、またそういう形で姿を見せない、その他の無数の霊たち、とくにすぐれた高級霊たちはどこでどうしているのか、といった疑問は一般の人からも出ないし、指導する霊能者の方からの解説もありません。

 その点についてひと通りの理解をもった心霊家ならいいとして、何も知らない人が同じ番組を見たら、死後の世界というのは実に不気味で、陰気で、何の楽しみも面白味もない、まるで夜ばかりの世界のような印象を受けるのではないかと案じられます。日本のテレビや雑誌にみる心霊の世界はおしなべてそんな傾向があるようです。

 そこへ行くとスピリチュアリズムは実に明朗闊達、広大無辺、そして自由無礙。人生百般に応用ができて、しかも崇高な宗教心も涵養してくれます。

 しかしそれは心霊を正しく理解した人に言えることであって、実はそこに至るまでが大変なのです。その第一の、そして最大の障害となっているのが、スピリチュアリズムが一般の宗教に見るような御利益的信仰心の入る余地がないということではないかと察せられます。

 人間は誰れしも、理屈はどうでもいい、とにかく今直面している問題ー病気、家庭問題、仕事の行きづまり等々を解決してくれればいい、と考えるものです。

 それ自体は決して悪いことでも恥ずべきことでもないのですが、ただそれが解決すればもうそれでおしまいということになると問題です。あるいは、その解決だけを目的としてどこかの宗教に入信する、あるいはどこかの霊能者におすがりする、というのは困りものです。それでは何の進歩もないからです。シルバー・バーチもこんなことを言っています。

 『私がもしも真理を求めて来られた方に気楽な人生を約束するような口を利くようなことがあったら、それは私が神界から言いつけられた使命に背いたことになりましょう。私どもの目的は人生の難問を避けて通る方法を伝授することではありません。艱難に真っ向から立ち向い、これを征服し、一段と強い人間に生長していく方法を伝授することこそ私どもの使命なのです。』

 

 さてシルバー・バーチは最終的に「説教」の手段を選びました。が、これは心霊現象の演出よりはるかに根気と自信のいる仕事です。なぜ困難な方を選んだのか。それをシルバー・バーチに自身に語ってもらいましょう。

 『自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私はいわば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意しました。真理をできるだけ解り易く説いてみよう。常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい。そうすることによって私がなるほど神の使者であるということを身をもって証明しよう。そう決心したのです。

 同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。

 結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何ものでもないということです。私が誰れであるかということが一体何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はしあわせなのです。

 人間の宗教の歴史をふり返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏の座にまつり上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団の使命は、そうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。そうした人人が説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうが卑しい乞食であろうが、そんなことはどうでもいいことではありませんか。

 私どもは決して真実からはずれたことは申しません。品位を汚すようなことも申しません。また人間の名誉を傷つけるようなことも申しません。私どもの願いは地上の人間に生きるよろこびを与え、地上生活の意義は何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているか、そして又、人類同士がいかに強い家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。

 といって、別に事新しいことを説こうというのではありません。すぐれた霊覚者が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにして来たために私どもが改めてもう一度説き直す必要が生じてきたのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。

 人類は自分の過った考えによって今まさに破滅の一歩手前まで来ております。やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば殺し合いなどしないだろうと思うのですが・・・。神は地上に十分な恵みを用意しているのに飢えに苦しむ人が多すぎます。新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴さず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。欠乏の度合がひどすぎます。貧苦の度が過ぎます。そして悲劇が多すぎます。

 物質界全体を不満の暗雲が覆っています。その暗雲を払いのけ、温かい太陽の光の差す日が来るか来ぬかは、人間の自由意志一つにかかっているのです。

 一人の人間が他の一人の人間を救おうと努力するとき、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善行の努力は絶対に無駄にはされません。奉仕の精神も決して無駄に終わることはありません。誰れかが先頭に立って薮を切り開き、あとに続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらねばなりません。やがてそこに道が出来あがり、通れば通るほど平坦になっていくことでしょう。

 高級神霊界の神々が目にいっぱい涙をうかべて悲しんでおられる姿を時おり見かけることがあります。今こそと思って見守っていたせっかくの善行のチャンスが、人間の誤解と偏見とによって踏みにじられ、無駄に終わっていくのを見るからです。そうかと思うと、うれしさに顔を思い切りほころばせているのを見かけることもあります。無名の平凡人が善行を施し、それが暗い地上に新らしい希望の灯をともしてくれたからです。

 私はすぐそこまで来ている新らしい地球の夜明けを少しでも早く招来せんがために、他の大勢の同志とともに、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。その目的は、神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。

 物質界に降りてくるのは、正直言って、あまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。たとえてみれば、弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。従って当然、生きるよろこびに溢れている人はほとんど見当らず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。

 私が定住している世界は光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真の生きるよろこびがみなぎり、適材適所の仕事に忙しくたずさわり、奉仕の精神にあふれ、互いに己れの足らざるところを補い合い、充実感と生命力とよろこびと輝きに満ちた世界です。

 それにひきかえ、この地上に見る世界は幸せであるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものはすべて用意してあるのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。

 それを取り除いてくれと言われても、それは私どもには出来ないのです。私どもに出来るのは、物質に包まれたあなたがたに神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなたがたを通じて運用されるかを教えてさしあげるだけです。ここにおられる方にはぜひ、霊的真理を知るとこんなに幸せになれるのだということを、身をもって示していただきたいのです。

 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えてさしあげることが出来たら、これに過ぎるよろこびはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことができれば、こうして地上に降りて来た努力の一端が報われたことになりましょう。私ども霊団は決してあなた方人間の果たすべき本来の義務を肩がわりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとするだけです。』

 『人間はなぜ戦争をするのか。それについてあなた方自身はどう思いますか。なぜ悲劇を繰り返すのか、その原因は何だと思いますか。なぜ人間世界に悲しみが絶えないのでしょうか。その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感という限られた感覚でしか物事を見ることが出来ないために、万物の背後に絶対的統一原理である神が宿っていることを理解できないからです。宇宙全体を唯一絶対の霊が支配しているということです。ところが人間は何かにつけて差別をつけようとします。そこから混乱が生じ、不幸がうまれ、そして破壊へと向かうのです。

 前にも言ったとおり、私どもはあなた方が野蛮人と呼んでいるインデアンですが、あなた方文明人が忘れてしまったその絶対神の摂理を説くために戻ってまいりました。あなた方文明人は物質界にしか通用しない組織の上に人生を築こうと努力してきました。言いかえれば、神の摂理から遠くはずれた文明を築かんがために教育し、修養し、努力してきたということです。

 人間世界が堕落してしまったのはそのためなのです。古い時代の文明が破滅したように、現代の物質文明は完全に破滅状態に陥っています。その瓦礫を一つ一つ拾い上げて、束の間の繁栄でなく、永遠の神の摂理の上に今一度文明を築き直す、そのお手伝いをするために私どもは地上に戻ってまいりました。それは、私どもスピリットと同様に、物質に包まれた人間にも、神の愛という同じ血が流れているからに外なりません。

 こう言うと、こんなことをおっしゃる人物がいるかも知れません。イヤそれは大きなお世話だ。われわれ白人は有色人種の手を借りてまで世の中を良くしようとは思わない。白人は白人の手で何とかしよう。有色人種の手を借りるくらいなら不幸のままでいる方がまだましだと。

 しかし、何とおっしゃろうと、霊界と地上とは互いにもたれ合って進歩して行くものなのです。地上の文明を見ていると、霊界の者にも為になることが多々あります。私どもは霊界で学んだことをあなた方に教えてあげようと努力し、同時にあなた方の考えから成る程と思うことを吸収しようと努めます。その相互扶助の関係の中にこそ地上天国への道が見出されるのです。

 そのうち地上のすべての人種が差別なく混り合う日がまいりましょう。どの人種にもそれなりの使命があるからです。それぞれに貢献すべき役割を持っているからです。霊眼をもって見れば、すべての人種がそれぞれの長所と、独自の文化と、独自の教義を持ち寄って調和のとれた生活を送るようになる日が、次第に近づきつつあるのがわかります。

 ここに集まられたあなた方と私、そして私に協力してくれているスピリットはみな、神の御心を地上に実現させるために遣わされた神の使徒なのです。私たちはよく誤解されます。同志を思っていた者がいつしか敵の側にまわることがしばしばあります。しかしだからといって仕事の手をゆるめるわけにはいきません。神の目から見て一ばん正しいことを行っているが故に、地上にない霊界の強力なエネルギーのすべてを結集して、その遂行に当たります。徐々にではあっても必ずや善が悪を滅ぼし、正義が不正を駆遂し、真が偽をあばいていきます。時には物質界の力にわれわれ霊界の力が圧倒され、あとずさりさせられることがあります。しかしそれも一時のことです。

 われわれはきっと目的を成就します。自ら犯した過ちから人間を救い出し、もっと高尚でもっと気の利いた生き方を教えてあげたい。お互いがお互いのために生きられるようにしてあげたい。そうすることによって心と霊と頭脳が豊かになり、この世的な平和や幸福でなく、霊的なやすらぎと幸福とに浴することが出来るようにしてあげたいと願っているのです。

 それは大変な仕事ではあります。が、あなた方と私たちを結びつけ一致団結させている絆は神聖なるものです。どうか父なる神の力が一歩でも地上の子等に近づけるように、共に手を取り合って、神の摂理の前進を阻もうとする勢力を駆遂していこうではありませんか。

 こうして語っている私のささやかな言葉が少しでもあなた方にとって役に立つものであれば、その言葉は当然それを知らずにいる、あなた方以外の人々にも、私がこうして語っているように次々と語りつがれていくべきです。自分が得た真理を次の人へ伝えてあげるーそれが真理を知った者の義務なのです。

 私とて、霊界生活で知り得た範囲の神の摂理を、英語という地上の言語に翻訳して語り伝えているに過ぎません。それを耳にし、あるいは目にされた方の全てが、必ずしも私の解釈の仕方に得心がいくとはかぎらないでしょう。しかし忘れないで下さい。私はあなた方の世界とはまったく次元の異なる世界の人間です。英語という言葉には限界があり、この霊媒にも限界があります。ですから、もしも私の語った言葉が十分納得できない場合は、それはあなた方がまだその真理を理解する段階にまで至っていないか、それともその真理が地上の言語で表現し得る限界を超えた要素をもっているために、私の表現がその意味を十分に伝え切っていないかの、いずれかでありましょう。

 しかし私はいつでも真理を説く用意ができています。地上の人間がその本来の姿で生きていくには、神の摂理、霊的真理を理解する以外にないからです。盲目でいるよりは見える方がいいはずです。聞こえないよりは聞こえた方がいいはずです。居睡りをしているよりは目覚めていた方がいいはずです。皆さんと共に、そういった居睡りをしている魂を目覚めさせ、神の摂理に耳を傾けさせてやるべく努力しようではありませんか。それが神と一体となった生活への唯一絶対の道だからです。

 そうなれば身も心も安らぎを覚えることでしょう。大宇宙のリズムと一体となり、不和も対立も消えてしまいましょう。それを境に、それまでとは全く違った新らしい生活が始まります。

 知識はすべて大切です。これだけ知っておれば十分だ、などと考えてはいけません。私の方は知っていることを全部お教えしようと努力しているのですから、あなた方は吸収できるかぎり吸収するよう努めていただきたい。こんなことを言うのは、決して私があなた方より偉いと思っているからではありません。知識の豊富さを自慢したいからでもありません。自分の知り得たことを他人に授けてあげることこそ私にとっての奉仕の道だと心得ているからにほかなりません。

 知識にも一つ一つ段階があります。その知識の段階を一つ一つ昇っていくのが進歩ということですから、もうこの辺でよかろうと、階段のどこかで腰を下ろしてしまってはいけません。人生を本当に理解する、つまり悟るためには、その一つ一つを理解し吸収していくほかに道はありません。

 このことは物質的なことにかぎりません。霊的なことについても同じことが言えるのです。というのは、あなた方は身体は物質界にあっても実質的には常に霊的世界で生活しているのです。従って物的援助と同時に霊的援助すなわち霊的知識も欠かすことが出来ないのです。ここのところをよく認識していただきたい。あなた方も実際は霊的世界に生きているー物質はホンの束の間の映像にすぎないのだーこれが私たちのメッセージの根幹をなすものです。

 そのことにいち早く気づかれた方々がその真理に忠実な生活を送って下されば、私たちの仕事も一層やりやすくなります。スピリットの声に耳を傾け、心霊現象の中に霊的真理の一端を見出した人々が、小さな我欲を棄て、高尚な大義のために己れを棄てて下されば、尚一層大きな成果を挙げることが出来ましょう。

 繰り返しますが、私は久しく忘れ去られてきた霊的真理を、今ようやく夜明けを迎えんとしている新らしい時代の主流として改めて説くために遣わされた、高級霊団の通訳にすぎません。要するに私を単なる代弁者と考えて下さい。地上に霊的真理を普及させようと努力している高級霊の声を、気持ちを、そして真理を、私が代弁していると考えて下さい。その霊団を小さく想像してはいけません。それはそれは大きな高級霊の集団が完全なる意志の統一のもとに、一致団結して事に当たっているのです。その霊団がちょうど私がこうして霊媒を使っているように私を使用して、霊的真理の普及に努めているのです。

 決して難解な真理を説こうとしているのではありません。いま地上人類に必要なのは神学のような大ゲサで難解で抽象的な哲学ではなく、いずこの宗教でも説かれている至って単純な真理、その昔、霊感を具えた教祖が説いた基本的な真理、すなわち人類は互いに兄弟であり、霊的本質において一体であるという真理を改めて説きに来たのです。

 すべての人種に同じ霊、同じ神の分霊が宿っているのです。同じ血が流れているのです。神は人類を一つの家族としておつくりになったのです。そこに差別を設けたのは人間自身であり、私どもがその過りを説きに戻ったということです。

 四海同胞、協調、奉仕、寛容ーこれが人生の基本理念であり、これを忘れた文明からは真の平和は生まれません。協力し合い、慈しみ合い、助け合うこと、持てる者が持たざる者に分けてあげること。こうした倫理は簡単ですが繰り返し繰り返し説かねばなりません。個人にしろ、国家にしろ、人種にしろ、こうした基本的倫理を実生活で実践するときこそ、神の意図した通りの生活を送っているといえましょう。

 そこで私の使命は二つの側面をもつことになります。すなわち破邪と顕正です。まず長いあいだ人間の魂の首をしめつけて来た雑草を抜き取らねばなりません。教会が、あるいは宗教が、神の名のもとに押しつけてきた、他愛もない、忌わしい、不敬きわまるドグマの類を一掃しなければなりません。なぜなら、それが人間が人間らしく生きることを妨げてきたからです。これが破邪です。

 もう一方の顕正は、誰れにもわかり、美しくて筋の通った真実の訓えを説くことです。この破邪と顕正は常に手に手をとり合って進まねばなりますまい。それを神への冒瀆であると息巻いたり尻込みしたりする御仁に係わりあっているヒマはありません。』

 シルバー・バーチ交霊会の全体のパターンは、最初に「祈りの言葉」があり、続いて右に紹介したような「説教」があり、そのあとに列席者との間の一問一答があり、そして最後にしめくくりの「祈り」があります。

 質問は個人的な内容のものから哲学的なものまで種々様々ですが、時にはすでに説教の中で述べたことと重複することもあります。が、シルバー・バーチは煩をいとわず懇切ていねいに説いて聞かせます。

 かつては週一回だった交霊会が晩年は月一回になったとはいえ、半世紀以上にわたる交霊会での応答は大変な量にのぼります。その中から各章に関連のあるものを選んで章の終りに紹介しようと思います。

 

 一問一答

問「昨今のスピリチュアリズムの動向をどう見られますか。」

シルバー・バーチ「潮にも満ち潮と引き潮があるように、物事には活動の時期と静止の時期とがあるものです。いかなる運動も一気にやってしまうわけにはいきません。成るほど表面的にはスピリチュアリズムはかなりの進歩を遂げ、驚異的な勝利をおさめたように見えますが、まだまだ霊的真理について、まったく無知な人が圧倒的多数を占めております。いつも言っているように、スピリチュアリズムというのは単なる名称にすぎません。私にとってはそれは大自然の法則、言いかえれば神の摂理を意味します。私の使命はその知識を広めることによって少しでも無知をなくすることです。その霊的知識の普及に手を貸してくださるものであれば、それが一個人であってもグループであっても、私はその努力に対して賞賛の拍手を贈りたいと思います。神の計画はきっと成就します。私の得ている啓示によってもそれは間違いありません。地上における霊的真理普及の大事業が始まっております。時には潮が引いたように活動の目立たない時期がありましょう。そうかと思うとブームのような時期があり、そして再び無関心の時期が来ます。普及に努力するのがイヤになる人もおりましょう。が、こうしたことは、神の計画全体から見ればホンの部分的現象にすぎません。その計画の中でも特に力を入れているのが心霊治療です。世界各地で起きている奇蹟的治癒は計画的なものであって決して偶発的なものではありません。その治癒の根源が霊力にあることに目覚めさせるように霊界から意図的に行っているものです。私は真理の普及について決して悲観的になることはありません。常に楽観的です。というのは、背後で援助してくれている強大な霊団の存在を知っているからです。私はこれまでの成果に満足しております。地上の無知な人がわれわれの仕事を邪魔し、遅らせ、滞らせることはできても、真理の前進を完全に阻むことは決して出来ません。ここが大切な点です。偉大なる神の計画の一部だということです。牧師が何と説こうと、医者がどうケチをつけようと、科学者がどう反論しようと、それは好きにさせておくがよろしい。時の進展とともに霊的真理が普及していくのをストップさせる力は、彼らにはないのです」

 

問「死後の世界でも罪を犯すことがありますか」

シルバー・バーチ「ありますとも!死後の世界でもとくに幽界というところは非常に地上と似ています。住民は地上の平凡人とほぼ同じ発達程度の人たちで、決して天使でもなければ悪魔でもありません。高級すぎもせず、かといって低級すぎもせず、まあ、普通の人間と思えばいいでしょう。判断の過りや知恵不足で失敗もすれば、拭い切れない恨みや憎しみ、欲望等にとらわれて罪悪を重ねることもあります。要するに未熟であることから過ちを犯すのです」

 

問「人間一人ひとりに守護霊がついているそうですが・・・」

シルバー・バーチ「母体における受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊がつきます。そしてその人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善をつくします。守護霊の存在を人間が自覚すると否とでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。守護霊はきまって一人ですが、その援助に当たる霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめわかっております。が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。つまり自分はこの男性にしようとか、あの女性の方がよさそうだ、といった勝手な注文は許されないのです。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されているのです」

 日本語流に言えば「産土神の許可を得て・・・」ということになるのでしょうが、この問題は次の質問にある因果律、日本流に言えば因縁の問題もからみ、さらには再生問題にも係わる重大な問題を含んでおります。最後の「こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されております」というのはその辺も含めた言葉として解釈すべきです。

 

問「地上で犯す罪は必ず地上生活で報いを受けるのでしょうか」

シルバー・バーチ「そういう場合もあるし、そうでない場合もあります。いわゆる因果律というのは必ずしも地上生活期間内に成就されるとは限りません。しかし、いつかは成就されます。必ず成就されます。原因があれば結果があり、両者を切り離すことは出来ないのです。しかし、いつ成就されるかという時間の問題になると、それはその原因の性質如何にかかわってきます。すぐに結果の出るものもあれば地上生活中に出ないものもあります。その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。罪を犯すと、その罪がその人の霊に記録され、それなりの結果を産み、それだけ苦しみます。それが地上生活中に出るか否かは私にもわかりません。それはいろんな事情が絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にあることだけは確かです」

 

問「霊界のどこに誰れがいるということがすぐにわかるものでしょうか」

シルバー・バーチ「霊界にはそういうことの得意な者がいるものでして、そういう人には簡単にわかります。大ざっぱに分類すると死後の世界の霊は地上に帰りたがっている者と帰りたがらない者とに分けられます。帰りたがっている霊の場合は、有能な霊媒さえ用意すれば容易に連絡がとれます。が帰りたがらない霊ですと、どこにいるかは簡単につきとめることが出来ても、地上と連絡をとることは容易ではありません。イヤだというのを無理につれてくるわけにもいかないのです」

俗に拝み屋という、霊魂との取り次ぎのような商売をしている人がいます。頼めばどんな先祖霊でも呼び出してくれるようですが、右のシルバー・バーチの答えを読めば、それが必ずしも信のおけるものでないことがわかります。シルバー・バーチは霊界にはスピリットの所在をつきとめるのが得意な霊がいると言っておりますが、実はそれとは別に、地上の拝み屋のような低級な霊能者のところをドサ回りのようなことをしながら、声色を使ったりクセをまねたりして、信心深い人間を騙しては面白がっているタチの悪い霊団がいることも忘れてはなりません。そんな霊にからかわれないためにも、正しい心霊知識を少しでも多く身につけたいものです。

 

           古代霊は語る シルバー・バーチ霊訓より   近藤千雄訳編